スーザン・オーリアン 『蘭に魅せられた男』
蘭に取り憑かれた人たちの実話
2001/05/03
この度、文庫本が刊行され8月公開される『アダプテーション』の原作です。
2003/07/29

私の知人(いれずみ判官遠山の金さんの子孫だそうだ)で邸宅に温室を設え蘭の栽培に時間を割いている男がいる。そんな風雅な趣味を持っていることなぞその人相骨柄からとんと気がつかなかったのであるが、彼から面白いから読んでみろとスーザン・オーリアン(アメリカのジャーナリスト)の書いた「蘭に魅せられた男」を紹介された。近々メリル・ストリープ、ニコラス・ケージ主演で映画化が決まったと説明されているし、サブタイトルにも冒険小説とある。

マニアと呼ばれる人種は往々にして常軌を逸するところがあるものだが、どうやら蘭マニアはその上手を行くものらしい。分業化されていて、人跡未踏のジャングルに新種を求めて命をかける人たち、それを密輸する業者、種に放射線をあてて突然変異を期待する人たち、珍奇な品種を大量生産する栽培業者、いかがわしい流通業者そして、末端の愛好家の群れ、さらに、それを品定めする評者とそれぞれが血道を上げて夢中になるもののようだ。風雅とはかけなれた世界であることを理解した。
「バブル現象」の代表事象としてあげられるオランダのチューリップ事件とも趣が異なる。
古書収集家の犯罪を扱った小説はあるが、蘭にお目にかかったのはこれが始めてである。
ミステリーとすればジョン・ダニングの「死の蔵書」「幻の特装本」に比ぶるべくもないのであるが、知らない世界を垣間見ることも楽しい。

末端の愛好者とはどうやら人生において成功した金持ちのようである。私の友人もきっとそうなるに違いない。
「ランは地球上でもっともセクシーな花なのである」「ラン=オーキッドはラテン語のオルキス=睾丸を意味する言葉だ」「ランには人を熱く濡らす作用がありヴィーナスの女神の支配によって欲望を過剰に刺激する」。きっと彼も欲望を過剰に刺激され濡れているに違いない。

ダン・フェスパーマン「闇に横たわれ」
冒険・スパイ小説は黄昏ているのか
00/07/20

ダン・フェスパーマンの「闇に横たわれ」を読んだある弁護士さんがこの小説のミステリーとしての評価はともかく新聞報道では知らなかった内戦の悲惨さを思い知らされたと書いている。さらに最近のミステリーが謎解き、ハードボイルド、警察などジャンルを問わず、黄金期を終え、今や黄昏(たそがれ)を迎えているように見えるそうだ。ただ、黄昏を迎えて風俗小説化し、かえって市民の生活や感覚の実態を学べると、現状を肯定しておられる。
私も黄昏かどうかは別としてこの最後の意見は理解しますね。やはり生活感のあるものが胸に応える。

「朗読者」「虹の谷の五月」に続いてダン・フェスパーマンの「闇に横たわれ」と戦争によって引き起こされる社会の荒廃、精神の腐敗、大規模の犯罪 など共通のテーマがあるものを読んだ。
一般に私達は、ユーゴ内戦におけるサラエボ市民を気の毒な人達、戦争の犠牲者と位置づけセルビア側を略奪者として考えがちである。このミステリーはサラエボ側で起こる犯罪の背景にある支配層の腐敗を一般市民の目で見つめていく。私はつくづく「よそのお国の出来事を知っていないのだ」感じた。民族対民族、宗教対宗教、政府と警察組織と軍隊とマフィア、さらに国際組織が加わる複雑で奇怪な抗争がここにあるのだがこの構図がすぐに頭に浮かばないのは私の勉強不足のせいなのです。にもかかわらず、妙に迫真的なストーリーであった。

包囲網にあえぐ気の毒なサラエボ市民、その民族主導になる平和と調和という神話だ。それと崇高な目的以外何もない清廉な政府についてのね。そう、あなた方は犠牲者だ。そのことは我々の誰もが知っている。とにかくサラエボ市民が泣きながら絞り出すように『愛だけ、要るのはそれだけです』と訴える、テレビをつける度に、我々の見るのはそのて の画面だけだ。そのくせ不正利得だの陰でうごめく悪玉の話になると、あなたがたはたちまち黙りを決め込み、ひそっと身をひいてしまう。悪いのはセルビア人だチェトニクがやった。そのとおり、やったのは確かに彼らだ。だが不謹慎な譬えを許してもらえば、あなたがたとてすべてが善人ではない。気晴らしにあなた方のなかの腐ったリンゴでもつまみ出してみたらどうですか。枢要な地位を占める枢要な人達がこの戦争で甘い汁を吸っている、そういったことがストップした場合、この内戦がなお続くと思いますか。
確かに真実とは常に裏表があるものだろう。

歴史は勝者が書くものなのだ。

デイヴィッド・ピース  「1974 ジョーカー」
ノワール、ノワール、ノワール!
2001/11/10

最近のミステリーで「ノワール」と呼ばれる一群の小説がむやみに多くなっている。文芸評論家吉野仁氏によればもともと戦後フランスで好評を博していたアメリカ製の読み捨ての犯罪小説(ペーパーバック)をロマン・ノワールと称していたそうである。このノワール(暗黒)小説の復刊ブームや再評価が80年代中期から英米を中心に世界中に巻き起こった。昨年は日本でもジム・トンプソン「ポップ1280」がこの手の代表作として紹介され、それなりの評価をえていたようだ。
英国ノワールの新星、デイヴィッド・ピースによる「1974 ジョーカー」、鮮烈の1作!だそうだが………。
1974年はサッチャーが保守党の党首になる前年でIRAのテロ活動が過激化、イギリス警察権力が市民生活に暗い影を投げかける時代の始まりらしい。「英国の暗部を抉る狂気と美の暗黒年代記」であるならば、エルロイの描く米国暗黒史と同様、権力機構の病巣をさらけだすお話かと期待していたのですが、どうもこれ、エルロイとは違うのではないか。

根っからの性格破綻者である主人公がこれも変質者、性倒錯、少女マニア、サディスト、マゾヒストの企業家、政治家、警察らがひきおこす猟奇事件に巻き込まれ、ますますその心を歪めていく過程を文字通り「糞まみれ」(警察に拷問され、ウンチをもらします、そこに倒れてまみれます)に薄汚く描いてある。「社会」を描写することなく、破滅者の心象、ただそれだけだものだから、どうして、だれが事件を起こしたものかわからないお粗末で、読み返せばそれぐらいは書いてあると思いますが、ページを繰り戻す気にすらならないのである。
「金や名声や異性に対するとめどもない欲望、モラルや理性を超えた情念、不条理な運命。すなわち『人間存在の真実』を強く深く捉えた小説がノアールである」笑っちゃうなぁ。
そういえば日本でも戦後、「カストリ雑誌」というのがありました。田舎町ではお祭りがあると夜店が立ちならんで、中には古本の叩き売りがある。幼い僕らが興味津々と、しかし手を出せない雑誌が山と積んである。性と犯罪を扱った粗悪な体裁のシロモノです。友達のお兄ちゃんがそれを買うのを見届けては、あとでこっそり見せてもらう楽しみがありました。あれに、ちょっと手を加えて刊行すると「ノワール」になるかもしれない。