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奥泉光 「グランドミステリー」
戦争の狂気
まず重厚なものを読みました。
さる23日に年甲斐もなくある資格試験にチャレンジしたため受験勉強で忙しくご無沙汰しました。
2001/05/22
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さて新年は何から読もうかと迷っていたのですが積読の中から手応えのありそうな奥泉光「グランドミステリー」。これは大作でした。ミステリーとして読むには再読しないと仕掛けが判らない難物ですが文章の香りといいテーマといい一級品だと思います。芥川賞受賞作の「石の来歴」の大型判というところ。「『吾輩は猫である』殺人事件」は夏目漱石の文体そのままにSF的ミステリーとして完成されたものでしたが、これは戦争の中の「狂気」を真っ正面から取り上げ、歴史という流れにおいて個人の行動の限界と可能性を様々な登場人物の立場で描き考えさせられる作品です。ちょうどピカソの「ゲルニカ」を見入っている感動をおぼえました。
2000/01/29
最近これが文庫本として出版されました。また新作として「鳥類学者のファンタジア」が出版されましたが、これはそのうちに読むことにします。
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奥泉光 『新・地底旅行』
2004/02/22
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小学生の頃、少年雑誌に連載されていた日本版ターザンの山川惣冶『少年王者』に夢中になったが、そのころ産経新聞(だったと思う)に同じ作者の『少年ケニア』も連載されていてこちらも記憶に残っている。むしろ『少年ケニア』は『少年王者』よりも低年齢向きであって、主人公が地底世界で恐竜(ティラノザウルス)と闘う怖い場面があった分、少年たちの間では人気が高かった。コナン・ドイルにも『失われた世界』があって、これは「地底」ではなく人跡未踏の高度をもった「台地」であるが、やはり恐竜が登場する。 ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』を読んだときも記憶に残っているのは恐竜に襲撃される場面である。さてヴェルヌ「地底旅行」の後日談は?
あのなつかしい夢と冒険の物語の続編を銘打つこの作品の時代は明治末期だ。「地球は丸い」ことは近所の石屋の洟垂れ小僧だって知っている。その証拠はと聞けば地球は地の球であってだから丸いと答える。しかし「私」の親父のようにそれならなんで人は地面からこぼれ落ちないのかと地球が丸いことと鉄船が水に浮かぶの死ぬまで信じられない頑固者もまだまだ多い。冒頭のこの語り口からも漱石作法をなぞった伝統的ユーモア精神のあふれる文芸作品であります。本邦を代表する頭脳・稲峰理学博士とその美しい令嬢が地底旅行を記録したリンデンブルグ博士の旅行記と江戸時代の古文書「富士人穴胎内記」に導かれ、富士山麓の洞穴に失踪した。一方信玄公の財宝が埋蔵されているとの伝承があるその地にひかれる俗物は多い。
ふたりを追い地球の中心へとむかう四人。「私」挿絵画家・野々宮とこの地底探検を持ち込んだ資産家の息子・丙三郎は近代的知識人をおおいに気取っているのだがまぁ俗物中の俗物といったところでかく言う読者である私のようなただ生きているだけの大衆の代表だ。思索に没頭する時には飯に汁をかけ、納豆、干物、漬物を放り込み吸い込みながらでも帳面からは目を離さない奇人、これが帝大物理学教授・鶏月。
この登場人物たちの魅力ある個性に加え、出色の人物が令嬢を慕う稲峰家の女中・サトだ。ここぞというときの生活の知恵者で、腕力はもとより、生命力、しぶとさといったら科学的精神などどこ吹く風と、飄々として三人の男どもを圧倒する、そのおかしさはたまらない。
暗黒の洞穴、地底の激流、中心の高天原に広がる海、財宝目当ての悪党軍人の襲撃、おまちかねのティラノザウルスの猛攻、雷の嵐、有尾人との遭遇、そして海に開花する巨大ハスと龍の栖の中心にある宇宙オルガン。ラストはヴェルヌと同様の方法による帰還までファンタスティックな世界を見せてくれる。ただし、奥泉の『『我輩は猫である』殺人事件』、『鳥類学者のファンタジア』に続く同一モチーフの三部作としたこのストーリー展開は智にはたらいてやや角が立つのが難点といえば難点。
『新・地底旅行』はSFあるいは冒険小説ではなくユーモア小説である。そしてこのユーモア小説は登場人物たちの会話の面白さが真髄である。ここをじっくり味わおう。もちろん、稲峰親娘との出会いがあって、鶏月に輪をかけた奇人変人の大博士、あの『鳥類学者のファンタジア』に登場する女性主人公に似たおてんばの令嬢が加われば抱腹絶倒は頂点に達する。
『鳥類学者のファンタジア』は女性を中心とする冗舌であったのだが、この作品では野々宮と丙三郎のボケとツッコミの漫才風が大半を占める。ヤジキタ道中ではないが男同士の方がばかばかしい、滑稽なありようをかいまみせるが現実だと体験的に思うのだが、奥泉の作品ではなぜか女性のふるまいに爆笑する仕掛けがあるから、その意味で、『ファンタジア』のほうが笑えた。いずれにしろ、感涙を誘う小説が多い最近だけに健康な笑いを喚起するこうした作品はまた読む価値があると思うのです。
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奥泉光「鳥類学者のファンタジア」
これはムズカシイ、けど楽しい
2001/10/23 |
太古、神の啓示によって与えられた「オルフェウスの音階」を「フィナボッチ数列」に置き換え、「ケプラー制作の惑星模型」においてこれを演奏する。この演奏舞台にキリスト磔刑で使用された槍の断片、これは「ロンギリウスの石」と呼ばれ、世界各地に存在するらしいのであるが、これを据えるとあら不思議!石は妙なる調べに共鳴し、膨大なエネルギーを発生させるのである。この秘密を解いたオカルト集団(のような組織)と敗戦色濃いナチスドイツの軍部が結託し、馬鹿でかい秘密工場のような演奏場を建設、いよいよ世界制覇をかけてその実験が開始される。このように解説しますと、インディージョーンズ「失われたアーク」「最後の聖戦」を彷彿させる大冒険小説であります。
さらに主人公は現代国分寺市の場末にあるジャズ喫茶(こういう言葉は今はないのかな)でピアノ演奏ライブを生業とするオールドミス(これも死語か)のオネエチャン、彼女の前に数奇の運命を生きドイツで死んだ、ピアニストのオバアチャンが現われ、これをきっかけに時と空間を超えて動乱のドイツ帝国へワープ、自分より若いオバアチャンと対面し、オバアチャンの生きざまを確認しつつ、この世紀の実験に巻き込まれるのである。こうなりますとこれは間違いなバックトゥザフューチャーの世界、SFであります。
奥泉光「鳥類学者のファンタジア」はなんとも形容しがたい不思議な小説ですが、ただこの作者の異能ぶりにはほとほと感心しました。これは寓話であるとうかつに断定し、表現の動機となった中心思想はなにかなどと、生真面目に、もしくはクソ真面目に読みますと、ホロコーストにあったユダヤ人、あるいは身近にいた故人への祈り、救われずに彷徨する己の魂の救済、すなわち宗教哲学を語っているのかもしれない、はたまた音楽芸術の底流にある絶対真理を解き明かす音楽哲学(こんなジャンルがあるかは知らないが)ではないか、これぞまさに「知のラビリンス!」と感激し、無理にインテリになれる作品でもある。
難解であるようにみえて実は大傑作である。とにかく面白い、笑える。なにが。主人公のキャラクターである。ジャズ狂いだけは別格だが普通の36歳独身女性、酒好き、恋人なし、臆病、皮肉屋、オッチョコチョイ、八方美人、興奮しやすく興奮すると物が言えない、方向音痴、好奇心旺盛、執着心がない、カッコよさが好き、徹底したカマトト、しかし知的である。この主人公の饒舌、モノローグこれを読むだけで充分楽しめる仕立てなのである。ちびまるこちゃんをそのまんま大人にして語らせるとこうなるのではないか。
私にとって最大の謎は「鳥類学者」であった。題名にしておきながらそんな言葉どこにも書いていない。広辞苑を引いても「鳥類」しかない、百科事典を開いてもそれらしいものが見当たらない。ネットサーフでようやくなるほどと理解した次第である。(ネットはすごい)私はジャズというか音楽芸術はからっきしの門外漢ですが、ジャズを知っている人はどうやら理解できる暗喩らしいのである。ここに至って得心した。これはジャズそのものなのだと。
この作者よほどのジャズ狂いであると確信した。この小説はジャズという音楽に魅せられた人がその興奮をありのままに書いた、モダンジャズ賛歌、ただそれだけのお話なのだ。と言っても、門外漢であっても、この演奏シーン、特にラストの叙述には圧倒させられる。だからジャズ愛好家にとってこれは「幸福感の爆発」であり「感動のエンディング」を迎えるに偽りはないと想像できる。ところでジャズマニアって読書をするのだろうか。失礼があったら、謝っておきます。
注 鳥類学=オーニソロジー=バード=モダンジャズの神様:
チャーリー・パーカー |