2008.5/19〜24 銀座 ギャラリーなつか

藤 田 良 美 展 「コミュニケーション」のメッセージ

  個展が終了すると、毎回「もうやめよう」と思いながら「つぎ」の作品を考えている。そして「おわらず」に、相当な年数が経った。「何回目の個展だろう」とはじめて数えてみたら14回目だった。何度も同じことを考えて結局は続けているのは「なぜだろう」と真面目に考えた。それらのことがわからないから「哲学を学ぼう」と勉強したのだが、明確なものが見つからなかったので、いつの間にか忘れていた。「考えること、忘れること」この繰り返しで人生を続けることが、「生きること」か。 「もうやめよう」と思うのは、アートが社会と繋がっていないことを実感するからだ。「制作する」のは、見えない力が働いているようである。言葉の中にない力だけど、皆、なんとなく「それ」を知っているようにも感じる。でも、誰も「それ」を正確に伝えることができていないようでもある。
 私だけでなく、誰でもそれぞれ役目があるのだろうし、私の役目は「説明できない力にそそのかされて、制作する」ことなのだと受け止めればよいだろう。
 今回、作品の説明を絵の横につけた。どのようにその絵を解釈してもらってもよいのだが、一応このようなところから発想している、ことを伝えたくなった。
 私は、展覧会開催において毎回誰かのお世話になっている、その対価を支払っていても、助けてもらっている。今回、大学の工芸学科の在校生や卒業生に、ガラスの扱いについて相談させてもらった。ガラス販売店にはいくつかお世話になり、特に(株)西尾硝子鏡工業所には、面倒な注文をした。キャンバス制作で面倒なことは、書絵堂(株)に頼んでしまった。ガラスの粒は、ガラス工芸作家の牧野先生に試行錯誤させた。作品の撮影をしてもらうカメラマンに出会うために、私の友人の友人に出会うことができた。現在、私が院において研究しているテーマ「コミュニケーション」のパワーで、私は人と繋がって、個になったり共同になったりしている。
 今回の私の作品は、人間は「組織」から離れて生きていけないことを皮肉った作品が多い。別の表現をすれば、人間は他人と関わりたくなくても関わらないと、「個は成り立たない」ということだ。作品を制作するのは「個」であるけれど、そのために他人が関わっているし、これらの表現の源は世界に起こっていることを、たまたま個がやったにすぎない。発せられた場所はどこからか不明だけれど、社会が関係している、他人やモノが関係している、ことは間違いない。
 このような観点から、やはり私の尊敬する美学者が論じる「芸術は人間から出発するのではなく、世界から出発する」ということになるだろうか。
2008年5月








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