「旅の思い出」にようこそ


このページは、今までの旅を通して感じたことを時代を遡って記しています。
20世紀の記録と言ってはオーバーでしょうか。全部で250編を収録しています。
これらの記録を自費出版して本に収めました。

  
  各旅の思い出をクリックするとスキップします。

            T(1〜100話)

            U(101〜178話)

            V(179〜230話)

            W(231〜250話)    

            北海道の旅

















旅の思い出 W
−−−何処かに出かけて出会ったことを気ままに書き記します。
                         2003/7/14現在 250〜231話

250.おまけ・・・京都の正月旅行 2001年1月1日〜2日
 半月前に京都に行ったのに、また正月旅行が京都となりました。宿の予約は直前になりましたがインターネットで探したら空き部屋が見つかりました。電話を掛けて予約は万全です。では、出発。
 元旦の夜明けは7時頃なので、家を出た時分はまだ真っ暗です。御来光は何処で拝めるのかが楽しみです。首都高速を通って東名高速に入ります。御殿場付近から東が明るくなりかけてきました。もう少し走り富士川のサービスエリアに着いた頃に夜明けの太陽が昇ってきます。このエリアからは富士山がよく見えます。太陽は眩しく一年の始まりを祝っているように感じます。そして浜名湖・上郷・大津と休憩を重ねて京都東インターから一般道へと降りていきます。最初に訪れた寺は醍醐寺です。
 醍醐寺は今まで行ったことはなく、どんな寺なのでしょうか。近づくに従って寺町らしくなってきました。駐車場に車を停めて歩き出します。境内は広いので暫くは参道を眺めています。有名な庭園の中には入りませんが、進んでいくと五重塔が見えてきました。金堂とのバランスも優れていて景観は良いのです。最初の寺でいい雰囲気を感じて次の寺も良い予感がします。そして、次に訪れたのが智積院です。ここは三十三間堂を探していたときに偶然入ったのです。この寺は建て直したらしく綺麗でピカピカしています。綺麗すぎるのも古都の雰囲気からは違和感があるのですが、これもまたいいのでしょう。取り敢えずお参りをします。ホテルの方向を目指して北の方角に進んでいます。そして次の下賀茂神社に着きました。ここは今までの場所とは違って駐車場待ちの行列が長く続いています。夕暮れ時になっているので出入りは激しく車は動いています。少しの辛抱で駐車場に停められそうです。誘導員も大勢いて空いた場所から次々に車を導いています。
 車から降りると参道が長く延びていて、そこが神社の入り口となります。社殿への参道は人が多く、前に歩いている人の後を付いて行けばお参りが出来そうなので従います。朱塗りの社殿は見事なくらい明るく見えます。やっと参拝は済ますことが出来ました。ホテルには隣の鴨川を渡ってすぐ傍です。
 翌日は朝食を早めに摂って、上賀茂神社に行きます。下賀茂神社より北の方に位置しています。早めに着いて大正解です。駐車場はまだがら空きの状態で楽に停められました。ここでも参拝するために歩いています。昨日の下賀茂と今日の上賀茂は似ているようで何処かが違うのでしょう。大きさや見た目は同じように感じました。参拝後に神馬が居て皆で餌やりをしています。白馬は大人しく誰もがこの光景に見取れてしまいます。
 続いては竜安寺に来ました。石庭で知られているこの寺には初めての訪問となります。廊下から眺めていると心も落ち着いてきます。そして、池の周りを歩いて巡り次の仁和寺へと移動します。仁和寺でも庭を巡るコースがあり、ゆっくりと歩いて見ています。この建物から見る五重塔は絶景の一言に尽きます。桜が満開ならばもっと良いのでしょう。
 車は北西の方角に向かっています。今度は高山寺に行くのです。高山寺では鳥獣戯画図で有名な寺です。それも行って初めて知ったのですから、詳しさなどは全くありません。寺は山の斜面にひっそり建っているようで階段が随所にあります。階段だらけで息が切れてしまいます。
 続いて天竜寺に到着しました。この寺は半月振りに来ても景色はまるで違っています。紅葉が無くなってしまいました。やはり冬の景色になっています。庭園をのんびり巡ります。本堂には工事をしているのか、入れません。参道を歩いているだけでも京都の休日を楽しめます。そして外の道路に出ればこの辺が嵐山の観光スポットの中心地となっています。道路には人力車が縦横に走っています。客待ちをしている車もあります。車道まで人が溢れていて食べ物屋や土産物屋には特に人集りが大きくなっています。
 そろそろ帰り道としましょう。市内の中心部に入ってくると車の渋滞は激しくなります。幾ら時間を掛けても進む距離は短くなってしまいます。百貨店の駐車場の待ち時間も長そうです。少しずつ進んで祇園へと入っていきます。八坂神社も見えます。この辺が一番人通りが多そうです。それだけ車の不便さが痛感してきます。辺りは夕暮れとなり危険も孕んでいます。徐行を繰り返して通過します。夜になってようやくインターチェンジから高速で帰り道に乗りました。
         
                                                    2003/7/14

249.袋田の滝へ撮影行 2000年12月29日
 年末の日の一日に、カメラ仲間と袋田の滝に写真撮影をしようと言うことになりました。寒さが増してくる季節です。どんな光景を撮影できるのか楽しみです。高速道路の交通はまだ閑散としている早朝に出かけます。那珂インターから国道で大子町まで来ました。袋田の駅近くから右折して滝へと続く道路を走ります。今まではこの道路は渋滞していたことが多かったのでこの日の閑散ぶりには違和感すら覚えます。先の駐車場まで走ります。
 階段を上がり観瀑料金を支払います。そしてトンネルを歩いています。水の音は静かなのが分かります。以前には水音で滝の水量が分かるのですが、この時ほど静かなことはありませんでした。それもそのはずで滝が目前に現れたときに静かな原因が判明しました。凍り付いているのです。白く凍結した滝の内部だけがちょろちょろと流れが認められます。四季折々の景観が楽しめるこの滝のダイナミックな冬景色です。カメラを構えてシャッターが切られています。滅多なことでは見られる景色ではありません。
 正面からトンネルで移動して吊り橋を渡ります。ここでもシャッターを沢山切っています。傑作が撮れているのでしょうか。後日のプリントを見てみると凍っている部分と水の境目が良く分からなくなっているので、実際の方が良かったことになりました。じっくり居座らなければ傑作は出来そうにもありません。
 この地からまた車での移動となります。今度は竜神橋に着きます。竜神橋も何度も来ているところです。歩行者専用の吊り橋では日本一と言われています。料金を支払って橋を往復するだけです。写真を撮るには少し人工物が多すぎるようです。自然の中の景色が一番良さそうです。
 これが、20世紀最後の思い出です・・・
                                                    2003/7/13

248.岐阜経由京都行き 2000年12月14日〜16日
 K氏はこの年の夏に会社を辞めました。M氏が会社を辞めたのは10年以上前です。この両氏を伴って旅行の話しが湧いてきました。そして岐阜には知り合いのT氏・N氏・H氏の三人と会うことにしています。そのついでに京都までも足を延ばして観光もします。京都には健康保険組合の保養所があり、既に予約を入れて準備万端です。ところがM氏が急に用事が出来て1日目は行けなくなってしまいました。2日目からの合流です。
 家を出て東京都北区の十条駅でK氏と待ち合わせました。ここからが2人旅の始まりです。時刻は午前9時を刻んでいます。東名高速道路を走って岐阜へと向かっています。海老名・日本平・浜名湖を休憩地として車は順調に走っています。小牧から名神高速となりますが次の一宮インターで降りることにします。時刻は午後3時半です。岐阜のホテルでの待ち合わせ時刻は午後6時なのでここからはゆっくり眺めながら向かうことにします。
 一旦チェックインして、荷物を降ろし、市内をぶらつきます。よく訪れる町なので西も東もある程度は判ります。夕暮れ時の人の動きは速く皆急いでいるように思えます。ホテルのロビーに戻ってみるとT氏が到着しています。T氏は以前東京に勤務していたので入社以来の親交を深めています。話しもよく合うのでお喋りは尽きなく続きます。そして、やや遅れて残りの2人がやって来ました。これで5人揃ったので巷へと繰り出す事になりました。話しは終わりの無いほど多彩な話題で、酒を持つ手も軽くなり、アルコール濃度はグングン増していきます。二軒を飲み歩いてホテルに戻ったのは午後の11時少し前でした。これで眠り薬の効果が出てくるでしょう。バタンキューの爆睡状態に陥ります。
 翌日は目覚めがスッキリとして出かけることになります。東京からのもう1人がこの日に岐阜羽島の駅にやって来ます。岐阜の市内から岐阜羽島駅は車で30分ほどで着きます。10時過ぎに到着予定なので少し早めに駅前駐車場に車を入れます。この駅は大阪や九州方面に出かけるときに通過しますが実際に駅の建物の中に居るのは初めてでした。予定列車が入線してきました。数分後に東京からのM氏が改札を通ってこちらに向かって歩いています。
 再会して、ここからが本来の3人旅になります。目指すは京都の保養所です。新幹線の駅近くには名神高速のインターがあり、直ぐに高速道路の通行となります。長良川・揖斐川を渡り関ヶ原を過ぎれば滋賀県に入ります。さらに米原・彦根を通って多賀サービスエリアで一服します。京都へは以外に早く到着できそうです。市内の見物場所を考えましょう。
 京都東インターで降りてまずは清水寺へと向かいます。ところが駐車場がなかなか見つかりません。停めてはみたけれど、少し歩く時間が長いようです。これもまた良いものです。足腰はまだ弱っていない3人です。方向は間違ってはいないのですが、遠回りしているような道を歩いています。暫く歩いていると大きなお屋敷町に入り込んでいます。ふと眺めていると山村美沙と西村京太郎の家があるではありませんか。しかも隣り合っています。この話は有名なのですが、実際にそこに立ってみるとやはり不思議でなりません。
 歩き疲れは感じませんが、やっと清水寺の参道に入りました。何十年振りの寺参りです。3人とも同様なのです。憶えているのは舞台だけと言うことも同じでした。その舞台へと近づいて行きます。そこは下から見れば見上げるほどの高さですが、上からは遠くが良く見渡せます。木々の紅葉もまだ残っています。12月の中旬でこれ程の紅葉が見られるとは思いもしませんでした。ふと横を見ると大きな額に文字が墨で書かれています。「金」の文字は、清水寺の年末恒例の「今年の文字」なのでした。そう言えばこの年はオリンピックが開催されていました。再度舞台から下の様子を眺めると湧き水が出ていて柄杓で飲んでいるのが見えます。そして階段を下りてそこまで行きます。他の人を見習って同じように飲んでみます。天然の湧き水はいくつか飲んでいますが、ここも美味しく感じました。ゆっくり楽しんでから、次の大徳寺に向かいます。大徳寺は数カ所の寺が集まっていて境内の通りを巡ります。しかし、多くの寺が開放されていません。折角見に来てもこれでは不満が残ってしまいそう。そんな中に一つだけ入れる寺がありました。本堂へと続く道の両脇には苔が蒸しています。横に立ってお互いに記念写真となります。堂内の各部屋巡りと、廊下に出て少し座ってみたりと古都の風情を堪能しています。庭に出てみると、ここにも真っ赤に色づいた葉っぱが井戸の横に落ちています。ここでもパチリ。大部のんびりしてきました。歩く速度も自然とゆっくりとなり、話し方も変化が現れています。環境でこんなにも変わるとは思ってもいませんでした。
 保養所に到着すれば、旅の疲れを風呂で癒し、料理に舌鼓を打ちます。部屋に戻ればいろんな話しが代わる代わる出て、親交が深まっています。そして3人揃って、大鼾で夜は更けていきます。
 朝の目覚めはこの日もスッキリして、朝の散歩と洒落込んでいきましょう。近くに天竜寺があり嵐山も目の前です。まずは天竜寺の門を潜って庭園の観賞をしました。植木の手入れはきちんとされています。池の鯉も優雅に泳いでいるようです。何もかもスローモーションになっているようです。そして嵐山の付近を散策しながら宿へと戻りました。
 朝食を済ませて三千院までの行程とします。三千院へは京都の市街地から大部離れています。漬物屋を横に見ながら山深い地域に来ました。この寺へは10年以上来ていませんでした。久しぶりです。本堂よりも庭を歩いている方がこの寺の良さが判るようです。坂道を昇り丘の上からも眺めています。
 次の寺は寂光院です。この寺はつい最近、放火により本堂が全焼してしまったのです。小さな山門を通り張り紙の前までしか参拝をすることが出来ません。古い寺がこのように無惨な状態になっていることは悲しいことだと思います。早く再建されることを願うのみです。
 車は再び四条の町中にやって来ました。鴨川の畔の駐車場に車を停めて繁華街を歩きます。人の多さは何処の繁華街も同じですが流れ方がよく分かりません。慣れない観光客と直ぐに分かってしまうでしょう。土産物屋で抱えきれないほどの買い物をして、帰り道に就きます。良い旅の思い出は今回も鮮明に刻むことが出来ました。
                                                    2003/7/9

247.山口・長崎の旅 2000年11月23日〜25日
 晩秋の旅の地として選んだところは山口県と長崎県に決まりました。普通は隣り合った県で行くことが多いのに、何故か離れた県の組み合わせです。このような組み合わせでも旅を楽しむ工夫をすることがワクワクしてきます。宿の予約は自宅の電話で時刻表の宿の一覧表から探しました。列車とレンタカーは交通公社で予約です。そして旅の行程は東京→小郡→秋芳洞→萩→山口→小郡(泊)→博多→佐世保→有田→長崎(泊)→博多→東京としました。
 小郡までの新幹線はひかり号だけなので指定券を取ってあります。途中の福山では、我々の乗ったひかり号の横を後続ののぞみ号がフルスピードで通過していきました。待ち合わせのロスも予定通りなので仕方ありません。小郡駅に静かに到着します。小郡駅の改札を出て横にあるレンタカーの事務所に入りました。手続きを済ませて簡単な地図ももらいました。これで車の旅になりました。最初に訪れる場所は秋芳洞です。途中の景色は、うららかな小春日和になっています。家の瓦はどこも赤いのです。この辺の名産品で建設されているらしいのです。
 全国の鍾乳洞は幾つも行っていますが、この秋芳洞は最も有名で全国に知れ渡っています。洞の入り口までは土産物屋が建ち並んでいて客引きに余念がありません。ここは大人しく通り過ぎていよいよ洞内へと入ります。最初は目が慣れなくて、暗い内部の様子は分かりません。以外に内部は広く天井も高くなっています。水音もしています。坂もあるし滑りやすく見えます。気を付けて歩くことは当然のことです。全長は長く迷路のようなのですが、半分もしない内にエレベーターのある地点に来ました。ここで表に出ることにします。上に昇って外に出ると眩しくてまた目が開いていられません。ここからタクシーで駐車場まで戻り再び車での移動です。道の駅に寄ってから萩の町へと入ります。萩市は日本海に面していて幕末の志士達の土地でもあります。まずは城跡へと向かいます。萩城も明治になると天守閣などは取り壊されていたようで、石垣のみが当時の面影を残しています。しかもその跡地へ入るだけで入場料が掛かりそうなので、今回は遠景で眺めるだけとしました。そしてその近くの萩焼の会館へと見物して、記念に茶碗を購入しました。底の三角の切れ込みが目印です。
 続いて訪れた場所は松陰神社です。ここは吉田松陰が開いた松下村塾が境内にあります。と言うより、そこに神社として建立したのでしょう。銀杏の葉が青空と対比していたことを鮮明に憶えています。訪れる観光客は多く、団体やグループなどで各自盛り上がっています。
 秋の日はつるべ落としと言いますが帰り道の渋滞中に暗くなってしまいます。あまりいい車とは言えないものでしたが、クラクションが鳴らなくなるなどヒヤヒヤさせられても居ます。山口市に着いた頃は暗闇の中となりました。瑠璃光寺のライトアップは走りすぎるだけでも印象的です。早く車を返さないと時間切れとなってしまいます。ガソリンを満タンにして小郡駅に戻りました。ここからホテルには徒歩で3分程度なので荷物を持って歩きます。そしてホテルに到着してフロントに名を告げたら予約は入っていないと言う意外な言葉が耳をつんざいています。電話で予約したのにまさか・・・。と、思っていたら隣のホテルに入ってしまったのです。何とドジなことをしてしまったのでしょう。ゆっくり疲れを取るために早めにチャーハンを食って寝ましょう。
 2日目はこの小郡からひかりレールスターに乗ります。この列車は新大阪始発なので指定券は取ってありません。自由席に乗り込むと結構混んでいて空席を探すことに時間が掛かりました。でも着席したら後は終点まで乗れば良いのです。快適な新車両に乗っていれば、博多へは僅かな時間で着いてしまいました。ここで在来線に乗り換えます。階段とエスカレーターを使っての乗り換えは荷物の重みもあり楽ではありません。特急みどり号は既に入線しています。この列車は佐世保行きなのですが、途中まで長崎行きのかもめ号とハウステンボス号を連結しています。三つの特急が繋がっている列車は他にはありません。車両は新型ではなく金属製の堅いイメージです。隣のホームには新型の車両が停まっています。荷物を車内に残したまま電車の写真を撮りに行きました。博多の駅は九州島内のあらゆる車両が集結するので興味は惹かれます。
 何処かで発車のベルが鳴っています。新型車両に夢中になっていますが、乗り込む列車はまだ発車しないはずです。でも念のため乗り込むことにします。と、次の瞬間ドアが閉まったのです。発車時間を勘違いしていました。でも、よく乗り込んだもだと胸を撫で下ろしました。もし乗り遅れたらと思うとゾッとしてしまいます。
 特急は肥前山口でかもめ号が切り離されて先行しています。そして早岐ではハウステンボス号と別れます。後は単独で佐世保に到着しました。駅前のホテルのレストランで昼食を食べてからレンタカーを借りるために駅に戻りました。前日の車とは全く逆で新型のカローラでした。まだ新車の臭いも漂っています。同じレンタカーでこんなにも違うなんて信じられません。これからの走りが楽しみとなります。
 佐世保市内から北に向かい九十九島が見える入江に着きます。波は静かで明るい太陽が眩しいくらいです。そして車は佐賀県の有田へと方向を転換します。有田の町には昔、陶器市で訪れたことがあります。その時の細かい記憶は薄れているので何処に何があるのかは判りません。しかし道路際の看板に柿右衛門釜と書かれているのはまたもや興味を惹かれます。狭い道を探してどうにか着いて見物をすることが出来ました。そして焼き物会館でもじっくり眺めています。そして今度は駅前の売店でめぼしい物を探します。さらに別な土産物屋でも物色します。そんな店回りをして、いくつか買い物もしました。ここから長崎まで行くのですから時間も考えないといけません。高速道路を使って長崎までと考えます。日も暮れかかってきます。途中の大村湾パーキングエリアに滑り込みました。ここを予定したのは夕焼けの似合うエリアだと言うことからです。時間はバッチリ間に合いました。丁度夕日が大村湾に沈むところだったのです。この夕日を見たさに訪れる人も多そうです。
 太陽がすっかり沈んでから、走り出してもう少しで長崎の町に近づきます。車はだんだん多くなってきました。ネオンも瞬いています。暗くなってからもまだ、目的地はあります。今度は稲佐山の展望台です。この山は長崎の夜景を楽しむには絶好の場所となっています。山道が始まります。うねった道が続きます。標高はだんだん高くなっています。次第に下界の明かりが小さく広くなってきました。頂上付近に着けば長崎の街は宝石を散りばめたように綺麗に輝いています。日本の三大夜景の一つと言われるのが本当に納得します。これで駅に車を返せば、その隣のホテルに入ることが出来ます。
 ホテルはJRの直営なので、駅の構内からエスカレーターに乗って、二階のフロントで手続きをするのです。部屋に入れば稲佐山の夜景も見えているし、隣の操車場の車両群も見えています。この日もぐっすれ眠れます。
 最終日はタクシーで大浦天主堂へと乗り込みます。タクシーの中から港が見えて大きな観光船が入港するところです。それを見ながらオランダ坂を上って大浦天主堂前で降りました。ステンドグラスが目映いばかりに輝いていて神聖な気分になります。ここからグラバー邸は歩いていけるので坂道をゆっくりと楽しみながら上ります。そして庭園の中へと入り見物です。ここも坂道が多いのですが、エスカレーターが完備されていて観光客にとっては有り難いものとなっています。丘の上に建物が建っていて先ほどの大きな船も下の方に見えています。遥か対岸には造船所も眺められます。一通りのコースを歩いて降りてきました。大通りに出て路面電車に乗ります。滅多に乗ることもなかったので物珍しさで一杯です。
 今度は眼鏡橋を見に行きます。この橋は以前の大雨で崩れてしまいました。それが修復されて現在の観光スポットとなっているのです。ぶらぶら歩くには絶好のルートです。食事も長崎にある中華街を選びました。日本三大中華街は、他には横浜と神戸です。思いっきり好物のチャーハンを食べました。
 そろそろ帰りの時刻が近づいています。出島の見物で時間を費やしていました。市内は何処を見ても興味が尽きません。駅に向かいましょう。長崎からの帰りの列車は博多駅で見かけた「白いかもめ」に乗るのでワクワクしています。まるで少年の様にはしゃぐ自分を感じます。既に列車は発車準備は整っています。そして名残惜しむ気持ちを振り切って改札を通ります。白い車体が目の前に飛び込んでいます。なんとスマートな車体でしょうか。つい記念写真を撮ってしまいそうです。そして気が付けばシャッターを押しています。この列車で博多まで行くのが嬉しくて指定券を買いました。
 車内へと入ればまた驚くことがあります。まるでホテルのロビーと思えるほどの洒落たレイアウトです。白壁には阿蘭陀や長崎の文字が、書の大家の作品のように書かれています。そして指定された席へと着きました。このシートも革製の本格派で、座り心地も満点です。乗客は座席の半分くらい埋まっています。いよいよ発車となります。ホームから少しずつ離れていて徐々にスピードが増していきます。振動もなくスムーズな加速です。数分で浦上に着きます。その後は本領発揮の運転となります。時折同じ車両がすれ違うとつい見取れてしまいます。
 定刻通りに「白いかもめ」は博多の駅に滑り込むように到着します。別れ惜しんでは居られません。ここから東京までは500系の新幹線に乗るのです。この車両は二回目ですが先端が尖っていて、いかにも俊足の列車のイメージです。今までの土産で一杯になった重い荷物を抱えて、のぞみ号は夕暮れの中を東へと走り始めました。
                                                    2003/7/8

246.南紀巡り 2000年10月13日〜15日
 家族での南紀旅行を計画しています。東急観光に行って宿の手配をしてきました。宿泊地は紀伊勝浦と和歌浦にしました。どちらも昔からの観光拠点です。出かける日が楽しみです。
 家を早朝の5時過ぎに出発して三郷インターから高速に乗ります。まだ渋滞は始まっていないので東京も容易く通過できました。浜松インターまでの休憩地は港北・足柄・牧ノ原に停まりました。さて、浜松からは国道1号線を渥美半島へと進みます。伊良湖岬には11時前に到着しました。ここでフェリーを使い鳥羽港までの船旅と替わります。船の出航までは大部時間があったので観光施設兼道の駅で休みます。秋真っ盛りなのに暖かな太陽は燦々と降り注いでいます。間もなく乗車の準備が整います。
 小型のフェリーの様でも乗車台数はかなりなもので、一台一台を詰めて誘導してくれます。笛の音でドライバー達は、将棋の駒を番目に並べられているようです。後はワイヤーでしっかり固定してもらい客室へと階段を昇ります。いよいよ船は岸壁から静かに伊勢湾横断の航海に出ます。鳥羽までは1時間程度なのですが大海原に感じていて良いものです。神島が見えてきます。三島由紀夫の潮騒の舞台となっている島です。そして鳥羽港へと上陸しました。鳥羽について直ぐに道路を走り始めています。伊勢二見鳥羽ラインから伊勢自動車道に繋がっています。これで勢和多気インターで国道に降ります。国道42号線がここからの道路です。尾鷲・熊野を通過して三重県から和歌山県へと入りました。
 熊野川の橋を渡って新宮市に着きました。熊野地域には本宮大社・那智大社そしてここ新宮市には速玉大社で、三つの大社があります。速玉大社に参拝することにします。ここは日本サッカー界では有名な「やた烏」が描かれているのです。日は西よりに傾き掛かってきました。車は那智勝浦の町に到着です。予約のホテルの駐車場は市街地から離れています。そこから今度はバスで波止場まで移動です。ここからは船に乗って対岸のホテルに行くのです。
 ホテル「浦島」は勝浦温泉では一番大きな観光ホテルで、半島の大半を開発してリゾート施設を作っています。船着き場からホテルのフロントとなり、クーポン券を差し出します。予約してある建物は内海に面したところでした。しかし通された部屋は「日の出亭」という外海側なのです。この日の宿泊者は少なく、料金の高めの部屋へと変更してくれたのです。部屋は一晩泊まるには充分過ぎるくらい、ゆっくりくつろげそうです。ここは温泉地ですから、早速風呂に入りに行きましょう。宿泊している建物にももちろん温泉の風呂場があるのですが、有名な忘帰洞に行くことにします。空いているとはいえこの温泉は人が多く、波打ち際が絶好の入浴場所なのです。さて、一カ所ではもの足りません。次の温泉に行きましょう。山頂の露天風呂に向かいます。この温泉は巨大ホテルの山頂に作られています。そこに行くには本館を通ってエスカレーターを昇ります。このエスカレーターは長さ50メートル程のものを4回も昇っていくのです。さらに階段と斜面を更に登ります。到着するまで15分は掛かります。念願の風呂に入る頃には体は冷えてしまったので再度温まることになります。空には満月が良く見えます。入浴後の道のりは20分は掛かっていたのではないでしょうか。それにしても大きなホテルに来たものです。そして替えてもらって良かったと思うのは翌朝になって判りました。
 風呂疲れなのか、よく眠ることが出来ました。時間は午前6時を過ぎた頃に目が醒めています。大きな窓には一枚ガラスがはめ込んでありカーテンが引かれています。この「日の出亭」の本領は日の出を寝ながら眺めることが出来るのです。そしてカーテンを開きます。朝日はもうすぐ出てきます。前日に引き続き快晴の天気は日の出には絶好の条件です。景色が明るくなり、太陽が海と空の間から出て来ました。赤く強烈な光が届いていて少しずつ大きくなります。点から横線になり、そして半分まで昇っています。カメラを取り出して撮影します。間もなく太陽の円形が全部出てからもシャッターは切り続けます。
 朝食を食べて2日目の観光へと宿を後にします。再び船とバスで駐車場に戻り車に乗り込みます。最初に訪れるのは串本町にある潮岬灯台です。本州最南端の灯台からは全角度が太平洋です。大島も見えて居るので次ぎに向かうことにします。大島へは昔は巡航船が通っていましたが、今で綺麗な橋が架けられています。この橋は有料ではないのですが、立派で長いのです。快適な大島ツアーが楽しめました。車は再び国道42号線に戻り西へと進みます。海岸沿いに道路は続いていて紀勢本線の鉄路も並んでいます。時折行き交う特急列車にも目が奪われます。そして、白浜へとやって来ました。
 白浜の海岸や温泉街を横目に見て昼食の時間を取りました。海上には円月島が眺められて、ぽっかりと浮かんでいるようです。田辺の町を過ぎれば辺りは梅の木があちこちに見えてきました。この地域は梅干しの産地で梅林が広く見渡せます。その梅林を通りながら道の駅を見つけて休憩をしました。もちろんここでのお土産は梅干しをたっぷり買い込みます。試食をするまでもなく口の中は唾で一杯です。広川を通って有田市に掛かります。ここではみかんの畑が目立っています。この地域には紀州のみかんが栽培されているのです。みどりが多く最高の景色が広がっています。もう少し走れば和歌山に入ります。
 和歌山インターで降りて市内の中心部へと車は走っています。和歌山城を見物した後に紀ノ川沿いに散歩して、和歌浦まで急ぎます。宿に着く頃には辺りはすっかり暗くなっています。部屋からの景色は、海に面しているのですが良く判りません。雲も出てきたようです。風呂に入ってぐっすり寝ましょう。
 翌日に目が醒めると天気は生憎の雨模様です。窓からの景色は遠くのコンビナートが煙っています。和歌に詠まれたこの景色もイメージは違っているのも時代の為せる業でしょう。この日の予定は高野山へと出かけます。和歌山市から岩出町の根来寺に来ました。聞いたことはあっても初めての実物の寺は良い風情があります。小雨の中でも歩いて廻りました。続いて粉河寺に来ました。粉河寺は、付近の道路が工事中で多少時間が掛かってしまいましたが、山門の立派さと佇まいを楽しみました。この頃から雨は本降りとなってきました。ここから高野山へは山岳道路となります。何度も九十九折りを越えて高野山に到着しました。金剛峰寺を中心にした寺一色の町です。昼食も食べるのですが何処も満員で順番待ちが発生しています。それでも傘を差しながら何軒目かの店で食事をしました。いよいよ金剛峰寺の中に入ります。本堂から廊下で繋がっている建物を巡り、真言宗の本山を堪能しました。
 大雨の高野山を後にして、橋本までもまた急カーブの連続を下っています。対向車が来ると徐行して行き交うほどの狭い道です。橋本から五條・御所を通り大和高田に来ました。この辺から道路は混みだして渋滞が激しくなっています。進み具合はノロノロで時間の経過が速く感じます。夜中までに家に着くことは可能なのか心配になります。やがて広陵町から斑鳩町へとなって、高速道路のインターは近くなります。法隆寺インターで西名阪自動車道に入ります。天理からは自動車専用の国道25号線に繋がります。そして関・亀山を通過して東名阪道で名古屋に着いた時間は午後7時を過ぎてしまいました。結局家には夜中に到着するお決まりの時間となりました。
                                                     2003/7/5

245.岐阜での交流会第2弾 2000年9月30日〜10月1日
 一昨年に続いてまた岐阜への酒飲み会に行きます。今回も東京からは2人で車に乗り出発となります。大田区から環八で東名高速のインターに入ります。東名は順調に走り続けています。海老名・富士川を過ぎて浜名湖サービスエリアでも休憩します。そして名古屋を通り越して一宮ジャンクションから今回は東海北陸自動車道を使います。開通したてなので路面は綺麗で車も少なくなっています。走り易さは良いのですが、直ぐに岐阜のインターに着いてしまいます。降りてからは駅前の待ち合わせにしているホテルは近づいています。今回の岐阜メンバーは3人で、合計5人の飲み歩きが始まろうとしています。
 最初はいつも通りの居酒屋で美味しい食事も味わいます。話しは盛り上がり、共通の話題が豊富なことを感じます。皆は空腹を満たされていて既に料理に手は伸びません。そうなると次のコースが控えています。二軒目のお馴染みスナックへと柳ヶ瀬のアーケードを歩き出しました。そのスナックSは岐阜の面々にはお馴染みの店です。知らない人は潜りと言っても過言ではないでしょう。店に入れば仕切屋さんのM氏の言いなりで飲むものは決定します。東京からのY女史も大人しく飲んでいますが、主導権を掴むまでには時間は掛かりません。暫くすればM氏からY女史の言いなりに変化している5人でした。毎回のことなので特別な違和感は全くありません。そして、日付の替わる時刻にホテルでぐっすり眠りに就けました。
 翌朝はゆっくり起きてから帰りの道に乗ることになります。名古屋まで国道を走り、そこから東名で帰り道になります。後は順調に流れることを祈りつつ、翌日からの仕事のことを考えてしまう時間でした。
                                                    2003/7/3

244.山形の旅 2000年9月15日〜16日
 まずは前日の模様から。会社で仕事の打ち上げが盛大に繰り広げられていました。社内だけでは当然済むはずはなく、巷へと繰り出します。二軒を梯子すればアルコールは全身に染み渡ります。終電車もなくスナックから追い出されてタクシーで帰ります。そのメンバーは大宮の人が居て、仕方なくそちらを優先のコースを辿ることになります。つまり、東京から大宮へ、そして柏へのルートです。到着の時間は日付も替わり午前3時少し前です。これで翌日、いや当日の旅行へは行けるのでしょうか。
 目覚めは何とも怠いもので、僅か数時間の仮眠だけでした。既に外は朝の気配が終わろうとしていることに気が付き、出かけなければなりません。予定していた時刻を大きく変更して出発します。意識は朦朧としていますがハンドルを握る手はしっかりしています。常磐道を水戸方面に入ります。友部・中郷と休み酔い覚ましをします。しっかりしているとは言っても、アルコールは抜けているのでしょうか。道路は磐越道へと替わり郡山方面に走っています。東北道になって、安達太良にも休憩します。既に眠気はありません。山形道に入る頃は旅行気分の方が勝っていて昨晩のことなど何処かへ行ってしまいます。山形市内を抜けて村山の町に入っています。ここにも道の駅はあります。また一休みしましょう。大きな駐車場があって広々感がたまりません。
 温泉にも入りたくなってしまいました。地図で探すと碁点と言うところにクアハウスが見つかりました。早速そのコースをナビゲーションに登録して道案内をしてもらいます。一っ風呂浴びればアルコール分はすっかり無くなります。これで本来の体に戻っていることでしょう。ホテルに入りぐっすり眠れそうです。ところがこの日はシドニーオリンピックのサッカーの試合がテレビで放映されています。この番組はどうしても見てしまいます。二日続けての寝不足も仕方ないでしょう。
 翌朝は疲れもなく清々しい目覚めです。山形市内を車で走ります。道路は、戦災を受けていないため狭く一方通行も何本かあります。ぐるっと一回りと思い走っていたら霞城の外周となっていました。郊外へと通じるどうろはやがて川を渡ります。この河原では毎年芋煮会が開催されています。大鍋が置かれている景色を思い浮かべながら高速へと入ります。寒河江を過ぎて月山が見えるパーキングで一服します。高速道路はこの先で一時中断となっています。一般道路を走り湯殿山の駐車場に停めて参拝をと考えます。この参拝ルートは一旦バスに乗り神社の前に着くのです。この間は僅か1キロ程度なのですが歩くには急すぎるほどの坂道です。そして神社の入り口へと到着します。ここでは裸足になりご神体の岩に向かうのですが、どうもその気になれません。ここはパスして大外からの見物でお茶を濁します。そして酒田まで車で走ります。
 この酒田はおしんの物語に出てくる町です。山居倉庫も有名ですが、今回は本間家に立ち寄ることにします。この屋敷は美術館も所有するほどの財をなした家柄です。邸宅も昔のままの造りで各部屋の様子は明治から大正期の風情が漂っています。明かり障子の硝子も薄く見てみると波が打っていることが判ります。池も植木も当時のままのようです。
 次の目的地は羽黒山です。ここの名所は国宝の五重塔と階段です。参拝順路を歩けば直ぐに樹木の中から五重塔が現れます。京都や奈良の塔とは趣が全く違い、修験者達の拠り所ともなるのでしょうか。そして階段が始まります。頂上付近の神社までは1000段以上も登らなくてはなりません。果たして達成できるのでしょうか。時間は限られています。季節は秋となっていますが、残暑の太陽は容赦なく射し続けています。半分ほど登って休憩する頃には脱水状態に近くなっていました。ヘトヘトなので水分を補給します。時計は既に予定時刻を指しています。この先を歩けば目的が達成されますが時間が掛かりすぎては後の行動にも差し支えることになるでしょう。迷った上で引き返すことにしました。これも一昨日の余波が体力の消耗を促進していたようです。その決断が、逆に温海海岸から夕日を見ることも出来たし、新潟経由の高速も順調に流れて帰ることが出来たのでしょう。
                                                    2003/7/2

243.那須・白河へ 2000年8月15日
 この年にパソコンを買い換えました。そして念願のデジタルカメラも一緒に買ったのです。フイルム式カメラに比べれば写りに心配な面が多少あります。でも何度でも撮影できる点は評価に値します。そのカメラを持って出かけます。旧盆の一日を栃木県の那須へ向かいました。高速からの渋滞は並大抵なものではありません。インターでの車線変更時から渋滞が始まり、料金所に着くまでも何回も進んでは止まりの繰り返しです。やっと料金を支払います。それでもまだ進み方は同じです。交差点を曲がっても渋滞は延びています。ここからはだらだらと上り坂が始まりますが、依然スピードは上がりません。どうにか歩く速度にはなってきました。更に進んで小走り程度になればもうすぐ渋滞は解消されるでしょう。この僅かな区間に大部時間を取られてしまいました。何処もまだ見ていないのに高原ホテルで昼食の時間となりました。建物の最上階がレストランとなっていて眺望は抜群です。遠くを見晴らせていますが少し霞が掛かっています。
 食事も済ませてもっと先まで行くことにしましょう。大丸温泉を通りロープウェイの乗り場も通過します。上り坂をここまで来ると爽やかな高原の風が出ています。とうとう最深部の駐車場に着いたのです。広さは200台程停められるでしょう。真夏には高山に来て涼むのが一番良いと思いました。
 帰り道は素直には通りません。大丸から甲子温泉方面の道路を通ります。県境を越えて福島へとなりました。そして白河市へと降りていきます。白河は通過はしても、なかなか立ち寄ることはありません。街の真ん中に城があり、更に郊外には関所跡が絶好のスポットとなっています。両方をじっくり眺めてから家路と向かいましょう。ここからも更に大子経由という大回りの帰宅コースを取りました。
                                                    2003/6/30

242.上高地・高山・白川郷 2000年7月15日〜16日
 梅雨の後半は大雨が降ったりして災害が発生しやすい時期です。こんな時は出かけない方が良いのですが、毎月旅行は続けています。目的地は長野から岐阜に入っての山岳地帯です。大雨が降らないことを祈るのみです。
 目覚めた時には雨は降っていませんが、天気予報では大雨と出ています。高山での宿泊の予約もしているので出発します。中央高速道路を岡谷ジャンクションに入る頃雨の降り方が激しくなっています。長野道のみどり湖パーキングで休んでいても、雨が路面を叩き付けています。そして松本インターで上高地方面の国道を走ります。山が迫ってきています。雨の勢いは増すばかりで治まりません。沢渡の駐車場は道路に面していますが何カ所もあるので出来るだけ前方の場所を目指しています。最後の駐車場で車を停めて、ここからは公共交通機関を使うことになります。駐車場の車は数台あるのみです。山歩きとなるので、車の中でトレッキングシューズに履き替えます。バスで上高地の見物をしようと考えていたら、タクシーの運転手が近寄ってきました。「安くしますよ」の一言で交渉に入り、「バスの運賃と同じで」と言う更なる言葉で交渉は成立です。他の観光客も同乗する事になり、運転手の案内を聞いています。この道は狭くなり片側交互通行の場所が数カ所もあります。それで現在は一般車の立ち入りがフルシーズン規制されています。バスかタクシーでしか進入できないことが頷けます。
 やがて大正池が雨の中に見えてきました。そして河童橋近くのバスのステーションに到着しました。ここが上高地の拠点になっています。車から降りても、直ぐには歩き出せる状態ではありません。レストハウスで少し休んでから歩くことにします。雨の降り方は一向に弱まらないので仕方なく雨合羽を被りながら散策をすることにしました。梓川が流れていて側の道を歩きます。こんな天気でも観光客は大勢います。やがて大正池の近くの帝国ホテルまで来ました。高原のリゾートホテルで晴れていればもっと良いのではと思ったけど、雨でもそれなりに・・・。と、自分で言い聞かせています。 ぐるっと一回りしてバスステーションに戻ってきました。ここからバスで車の置いてある沢渡に戻ります。
 車に乗り込んで、今度は安房トンネルをくぐり岐阜県へと入っていきます。岐阜県側も大雨の状態で一向に止む気配がありません。平湯の温泉街が目の前に開けていたので、丁度良いとばかり入浴としました。この温泉では浴槽が室内と露天で数カ所あります。中でも露天の数は他にはないほどの数と広さを体験しました。雨は幾らか小降りになってきました。
 風呂上がりに一服して、また運転を続けます。この先には宿泊を予定している高山市が間近です。高山の街は観光客が多く訪れるので観光化が進んでいます。古い伝統も数多く、春慶塗や和紙などの店にも訪ねてしまいます。しかも、その製品を見るだけでなく買い込むことになりました。これで土産は万全です。市内を車で流してホテルに到着です。
 高山ワシントンホテルは駅前にあり、市内の観光の拠点となっています。夕飯までの一時を歩いてみましょう。高山まつりに使う山車があったり、小さな民芸品の店が連なっていました。なるほどこの町は歩いて回れる佇まいが良いのだと感じました。ホテルに戻って名物の飛騨牛の朴葉焼きでも食べようかな。
 次の朝は前日とはうって代わって太陽が眩しい日となりました。そう言えば前日の夕日は真っ赤だったことを思い出しました。これから白川郷まで一気に行くことになります。近いと思っていたのですが、約80キロも離れているのです。途中の荘川桜で有名な御母衣(みぼろ)ダム付近では一休みして真夏の日射しを一杯浴びています。そう、この日が梅雨明けとなったのです。朝なのに太陽はジリジリと容赦なく肌に突き刺さっているようです。山深い道路を進んでいくと白川村に入ってきました。村の入り口付近から合掌造りの建物がチラホラ見えてきました。ここが世界遺産に登録されて有名になったところなんだとしみじみ感じながら街の中程へと来ました。駐車場は丁度空いていたのですんなり停められました。ここで暫くは建物の見物をします。何処を見ても合掌造りの建物が一杯です。狭い道を歩いていても長閑な景色が心を和ませてくれるようです。お寺が見えてきました。この寺の建物も同じ茅葺きなのにはさすがだと感心したり、建物の中に入れば生活空間なのだと納得もします。
 白川郷の写真は高いところからの景色が印象的なので、その撮影スポットへも行きましょう。狭い道は丘の頂上へと続いています。やはりここから眺める景色は絵葉書的ですが。印象深いものになります。ここを後にして次の五箇山へと向かいます。
 一言で五箇山と言っても二カ所ありそれぞれ別な村の保存地区となっています。一つは菅沼という戸数は少ないのですが、静かな里です。観光と言うよりその中に自然と入り込んでしまったように錯覚してしまいます。また一方の相の倉の集落はやや高台にあり駐車場も閑散として訪れる人も疎らでした。それだけ地元の人たちの生活感とかが体感できるものとなります。土産物屋山などという感じではないのです。村のお店で水分を補給して潤していました。
 真夏の太陽は衰えを知りません。高原地帯でも汗が噴き出しています。足を延ばして温泉で一休みしましょう。斜面に建つ温泉なので露天から眺めた景色は広がりが感じていました。そして食事を摂り、渋滞の高速道路を家路へと向かいました。
                                                    2003/6/29

241.奥日光の旅 2000年6月18日〜19日
 また、日光です。日光へこれ程行っている人はいないのではないでしょうか。でもこの年も行くことになったのです。中禅寺湖で同乗者を降ろします。その後は1人でぶらぶらとしているのが常です。その時間を利用して奥日光から金精峠を越えてみました。トンネルを越えれば群馬県になります。菅沼も通過して丸沼へとやって来ました。丸沼のスキー場があります。この時期は当然雪もなくスキー場の様相は一変していて高原の涼しさが体を包みます。そこにロープウェイが有りますが乗る気はしません。レストハウスで食事をして休みましょう。これで良いのです。
 ところが何をどう間違えたのか次の行動はロープウェイの切符を手にして乗り場の階段を上がっていました。順番は直ぐにやってきて乗り込みます。たかがロープウェイじゃないかと、たかをくくっていたのですが乗ってびっくり急激な斜面を上昇しています。そして次に谷を渡り、乗車時間が長いのです。乗り込んだ瞬間から自問自答して悔やんでいたのですが、引き返すことも降りることも出来ません。大失敗です。このまま頂上には降りずに帰りたくなります。そして頂上駅で降ろされてしまいます。まずは一息つくことにします。ここからは日光連山も見えていて景色は最高。高山植物も咲いていて、高原の周遊コースが整備されています。それではこの道を一周してみましょう。随所に花が咲いているし山肌からの遠くの景色がとても良く、美味しい空気を一杯吸い込んでしまいます。
 これで頂上駅からの帰りとなります。また同じコースを降りると思えばウンザリしてしまいます。でもこれで降りないと帰れません。死を覚悟して(大袈裟な)清水の舞台から飛び降ります。でも何故か帰りのコースは怖さが半分になります。
 駐車場ではマイカーがご主人様を待ちかまえていました。お帰りなさいと言わんばかりにエンジンも快調です。これで中禅寺湖に戻って同乗者達を拾うことが出来ました。そしていつもの「つがのき」に宿泊しました。
 翌日は真っ直ぐ帰ることはしません。いつも何処かに寄りながらの気ままな旅の続きです。ではどんなコースでしょうか。最初に訪れたところは霧降高原の大笹牧場でした。この牧場は広大な土地に牛が放し飼いされています。中心施設にはレストランと売店あります。アイスクリームを頬張ると思わずほっぺたが落ちてしまいそうです。もちろん牛乳も飲んでみます。美味しい〜。朝食の後でも、別腹を体験して益々太ってしまう人たちです。
 いつまでも食べ続けたいところですが、惜しみつつ次の目的地に移動です。車の着いたところは川治ダムです。奥鬼怒方面もダムの多いところで、記念写真を撮り合っていました。そして次のコースは日塩もみじラインとなりました。この道を通れば塩原温泉に出ます。その為の近道なのですが、何しろカーブが多く行けども行けどもカーブは連続しています。同乗者はだんだん大人しくなってきました。全長は30キロもあったのです。1時間近くカーブを通っていた計算です。それで車酔いが当然とばかりに車内に襲ってきたのです。温泉旅館で昼食を兼ねて暫く休みましょう。食事をすれば、車酔いからも解放されて、途端に元の元気人間に戻っている同乗者達が、そこにいました。景色を見るより、歴史を知るより、美味しいものが一番の旅人達との一泊二日でした。
                                                    2003/6/24

240.岩手・宮城 2000年6月1日〜3日
 2月に引き続き盛岡で会社の同僚と巡り会いました。出発日の6月1日は会社の創立記念日で休みとなり、翌日の2日を休暇で取れば4連休です。その内の3日間を旅行に費やします。宿の予約は盛岡の岩手第一ホテルと気仙沼のサンルートホテルです。これで準備はOKです。
 家を出て近くのインターチェンジから高速道路を走ります。水戸を過ぎていわきジャンクションから磐越道へと乗り換えます。さらに郡山ジャンクションで東北道にまた乗り換えです。福島・仙台を通過して岩手県に入りました。前沢サービスエリアで休憩です。車を停めて建物に向かいます。階段を上りレストランのドアが開いてメニューを見ます。ここの名物は前沢牛でいくつかの献立が出ています。その中の一品を食して満腹になります。
 車に戻り先を急ぎましょう。松尾八幡平で高速を出ます。ここから八幡平へのドライブが始まります。最初はなだらかに高原道路をスイスイ走っていますが、やがて坂道が急峻となりカーブもきついところが現れます。雲が山肌にへばり付いています。そこを過ぎれば晴れ間が顔を出します。下界を見れば雲海が広がっていて、この上ない絶景が見渡せます。車を停めて表に出てみようとしたら、外気は刺すような寒気が立ちこめています。相当高い場所まで登ってきたことが理解できました。半袖のシャツだけではとても我慢できません。防寒コートを羽織って建物の中に入ります。そこからカメラで何回もシャッターを切って景色を留めます。ここは峠になっているのでそこを越えれば下り坂が始まります。県境も越えて秋田県になりました。この辺は温泉が豊富で何カ所も見かけます。その中の一つに後生掛温泉に到着しました。臭いは硫黄と判ります。火山地帯の温泉地は本格的な秘湯感が漂います。ここで長距離ドライブの汗を流しましょう。浴室の造りは古めかしく、昔からの湯治場の風情があります。打たせ湯・箱式サウナ・湯温の違う、いくつもの浴槽に次から次へと移動していました。外に出る扉があるのに、張り紙が出ていて露天風呂は使えないことが残念でした。そろそろ出ようかな。
 さっぱりして、また運転に集中できそうです。ここから逆戻りしましょう。再び峠まで戻ってからは右に入る道を今度は進路としました。やや狭い道をだらだら走ります。そして、今度は松川温泉に着くのです。この温泉地は地熱発電所がありお湯の出具合も良さそうです。その奥に一軒宿があります。車から出て玄関に足を進めます。この浴室は建物内より露天が素晴らしいのです。白濁した風呂は男女混浴です。脱衣所は別なのですが直径5メートルの円形風呂にはゆっくり浸かることが出来ました。
 2カ所の温泉を浸かれば湯当たり寸前の状態となります。少し涼んでから運転をしましょう。盛岡までの距離は大部あります。涼しい高原地帯から標高が徐々に下がってきます。高速には乗らずに国道を走り続けます。途中の道の駅「にしね」に寄ってから盛岡の市内へと入りました。予約してあるホテルは市街の北部に建っているので直ぐ到着することが出来ました。
 部屋で一息ついてから外出することにします。偶然の出会いまであと1時間です。ホテルの玄関前に並んでいるタクシーに乗り込みました。駅へと告げてタクシーは走り出しました。20分ほどで盛岡駅に到着します。ここで少しの間ぶらつくことにします。偶然の待ち合わせまで20分を切りました。改札口や売店などを眺めていて時間を潰しています。いよいよ偶然の出会いは予定通りの時間に果たせたのです。会社の同僚は別なホテルに投宿しています。夕飯だけを一緒にしようと偶然を装っていたのです。一種の旅の遊びを楽しんでいます。居酒屋とスナックを梯子してホテルに戻ったときは深夜近くの時間となっていました。
 2日目の行動はまず宮古市を目指します。盛岡から宮古は近いように感じていたのですが、かなりの道のりがあります。途中は北上山地が立ちはだかっていて、山越えを覚悟です。区界高原の道の駅にも立ち寄りました。ここでも気温は、朝と言うだけでない寒さが立ちこめています。宮古市の名勝地はもちろん浄土ヶ浜の海岸です。若いときに友人と訪れて以来の、この地の景色は、大部印象の違ったものとなりました。三陸海岸の中では異質なほど景色が違うのです。ここは極楽浄土のイメージが歴然としています。そこから車は海岸に沿って南下し始めます。山田を通り船越半島を一周もします。釜石の大観音を横目に見ながら、大船渡市に入ります。ここにはバイパスが完成しています。将来は有料道路となるほどの立派な道です。陸前高田の道の駅に立ち寄って宮城県に入っていきます。ここは唐桑町と言って太平洋に突き出た半島があります。そこに名所の看板が立っています。「巨釜半造(おおがまはんぞう)」と書かれています。何だろうと思うのは筆者だけではないはずです。尚も巨釜半造の看板は随所に立っています。ハンドルはそれに引き込まれるように左右に切り込んでいます。やがて巨釜は左、半造は右となってしまいました。それまで一カ所の案内かと思っていたので我が目を疑ってしまいました。ここまで来れば巨釜でも半造でもどちらでも良いのです。そして巨釜へと車は走っていきます。この名勝地は海岸の崖の呼び名だったのです。切り立った崖が、それを名乗ることになったのです。夕日が傾き掛けてきます。ここらで引き返して本来の道路から気仙沼のホテルに行くことにしました。
 昨日のドライブ疲れからかぐっすり寝ることが出来ました。目覚めはスッキリとして、窓の外を見ます。気仙沼の駅がそこにあります。気仙沼で有名な市場へは車で通過します。遠洋漁業の基地として名高いこの港は規模も佇まいも並はずれているように思います。暫く走れば大谷海岸の道の駅に着きます。この駅は鉄道駅と一緒になっていて海岸までも同居しています。砂浜は長く静かな海です。朝の静けさを楽しんでいます。
 志津川・女川を通ればこの先の牡鹿半島へと向かいます。半島の突端まで有料道路で走り続けます。上り下りとカーブの連続です。この半島の沖合には金華山と呼ばれる島が有ります。天気は上々で景色は最高とこの上ない条件です。最高の旅を満喫しています。そして石巻の街に到着して駅を眺めた後の出来事です。車を駐車場から出して左折します。そうすると前方の交番の前で警官が手を振って停まれの合図をしています。何なのだろうかと思いつつ交番へと入り停車しました。そして警官は一時停止していないのではと言ってきたのです。それには猛反発をしなければなりません。一時停止はしたのです。きっと、多分・・もしかして・・・・・とにかく停止はしました。そして、この抗議に警官は納得してしまいました。これで反則なしで車を走らせることが出来てホッとしました。後は気を引き締めて旅を続けましょう。仙台から相馬・原町を通りいわき四倉からの高速も大人しく運転して帰ってきました。
                                                    2003/6/23

239.鬼怒川温泉 2000年5月27日〜28日
 労働組合の会議が鬼怒川温泉で開催となりました。これには執行委員だけの会議なのですが、司会役として特別に任命されてしまいました。集合は南浦和駅です。南浦和は初めてなので何処に車を停めればいいのか心配しながら行ってみます。車は3台で人数は8人です。全員集合して浦和インターから東北道に乗り一路宇都宮経由で鬼怒川の温泉旅館へと向かっています。高速道路は空いていて気持ちよく走れます。休憩を挟みながら今市へとやって来ました。今市からは鬼怒川温泉方面に進路を変えます。町中の交差点を通り、電車のガードを潜り、橋を渡ってきた頃に腹の虫が騒ぎ出します。鬼怒川を知る一人の案内で街道沿いの食堂に入ります。大勢で食事をすれば話が尽きないことと食欲も上がっています。これで旅館に着いても暫くは会議に集中できそうです。
 その旅館に到着しました。普通なら風呂に入ってとなりますが、会議が先決です。別ルート組も合流して討論を闘い合いました。そしてお待たせの温泉に入浴してから楽しい夕飯タイムを持つことになります。酒の勢いもあるのでしょうか、ボルテージが上がります。この続きは部屋に帰っても夜中まで続くのでした。翌日は滞在組と帰宅組とで別れました。
                                                    2003/6/22

238.高遠の桜 2000年5月4日
 桜の季節は過ぎていますが、連休なので何処かに行きたくなります。桜が咲いている場所は北の方角で、しかも大部先の方向と限られてしまいそう。日帰りではそんなに遠くは無理です。そこで咲いているかどうかは判らないけど長野県の高遠にターゲットを絞りました。東京を突っ切って中央道を走ります。地図で調べてあるので諏訪南インターで降ります。このインターは初めて降りることになりました。国道20号線を茅野方面に走り、そこから国道152号線へと曲がります。一部狭い区間もありますが、道路は九十九折りを上っていきます。やがて遠く諏訪湖が望める場所もあり景色は良くなっています。峠道に差し掛かります。この峠は杖突峠と言って、歩いている時代の峠のきつさを表しています。そこから先は殆ど直線に近いのですが、道路幅はまちまちなのです。行き交う車を停まって譲り合わなければトラブルになるような山間の道路です。しばらく走ると高遠の街が現れます。山里の雰囲気が立ちこめてきます。いわゆる高遠桜は城跡の敷地に有るので、その城を目指します。やや高台に、その城跡は目の前へと出てきました。歩いて桜の木々を見ると殆ど花びらは散っていましたが、1〜2割の花びらは残っています。全体的には桜の木としては不十分ですが、地面の花びらも含めて桜見物とすれば、何とか様になった気分です。今度は満開の時期に見れば良いのでしょう。
 車に戻り今度は、隣の長谷村にある道の駅に立ち寄りです。ここも農産物の買い物基地の色合いが強いのです。特色のある道の駅はまだ数が少ないようです。そして別な峠を越えて伊那インターから中央道に乗り帰り道に就きました。
                                                    2003/6/19

237.弥彦山頂 2000年4月30日
 この年は毎月何処かに行っていて、全部の月に旅行をと考えてました。しかし、4月はなかなか出かける機会が見つかりません。そこで日帰りで新潟の案を思い浮かべます。
 大泉から関越道で新潟に入り、長岡ジャンクションで北陸道と進みます。三条燕インターで高速と別れを告げて、一般道を走ります。吉田を通って弥彦に着きます。弥彦駅前で暫く休むことにしました。駅前の道を行けば神社に着くのでしょう。駅から降りてくる人たちは歩いてその道を進んでいます。この町には温泉も涌いているので泊まりがけで来る人が多そうです。弥彦神社の裏手には山が迫っているので、きっとご神体が山となっているかも知れません。その山に登ることにします。道路は急にヘアピンカーブが連続して登山道路の様相を呈しています。新潟平野の一角に弥彦山が有ることは登っていくにしたがって判ってきます。山頂近くになれば両側が平野部として眺められるのです。山頂部でまた一休みします。ロープウェイが通っていて下界からの観光客がたむろしていました。遠くには佐渡島が日本海の中に浮かんでいるようです。かなり標高が高いのでしょう。薄曇りでも遠くの景色で判別がつきます。運転を再開して下り道路を、気を付けながら平地へと下ります。新潟市内は比較的近くなのでそのまま国道を使って市街地へと進んでいます。新潟からの帰り道はそのまま戻ることはしません。磐越道が開通したばかりなのでこの道路を通っていわき経由で常磐道を上ってきました。
                                                    2003/6/18

236.伊勢志摩一人旅 2000年3月25日〜26日
 一泊二日で三重県への旅を計画したのですが、どうしても津市に宿が取れません。仕方なく隣の久居市のホテルに予約をしました。これで宿泊は万全となりました。ではコースをご紹介しましょう。初日は東京から東名高速で名古屋で下りて、それから国道で津まで。2日目は伊勢詣でしてから志摩半島を一巡りします。今回は賢島や五ヶ所湾へも足を延ばします。さあ、早朝の出発です。
 東名高速の名古屋で下りて市内へは向かいません。反対方向へと走ります。最初の目的はトヨタ博物館です。ここはトヨタ自動車の企業博物館が設置されているのです。どんなものかと入ってみれば駐車場は広く建物も大きくて驚きです。以前は工場だったものを博物館にしたようです。入場料を払って館内へと入ります。トヨタの歴代の名車が並んでいます。そればかりか往年の外車や日産車までもが陳列されてます。蔵車数は100台以上有るのではと思われます。車好きにはたまらない施設で、近づいて念入りに眺めています。そして、別館へと渡り廊下を通っていくと昭和30年代の街角が再現されています。車も店先も家の茶の間も全てがタイムスリップしてしまいます。懐かしさが沸々と蘇ってきます。
 ここを後にして車に戻り伊勢方面へと行くのですが、ここからが通常の行程にはなりません。名古屋インター付近から名古屋市の外周道路を走り、伊勢湾岸道路を走るため共和方面に走るのです。そして飛島までの僅かな距離を新しい高速道路で渡ります。片側3車線の直線道路は橋が数本有りますが行き交う車は殆どありません。この道路が第二東名となるのです。これで三重県に入っていきます。
 桑名・四日市と通れば伊勢湾の西側沿いに道路は続いています。やがて津の街並みが見えてきます。県庁所在地でありながら少し蔭が薄い街です。人口も県内では四日市市や鈴鹿市よりも少ないのです。街路は南北に長く通っていますが少し走れば隣の久居市になるのです。その久居市に着きました。今晩の宿はこの町のビジネスホテルに潜り込むことにしています。
 翌朝になりモーニングコーヒーで眠気を飛ばして高速道路に乗ります。久居インターから伊勢までの高速は一部を除き始めでです。しかも途中からは片側一車線のロール版になります。伊勢には二つのインターチェンジが有りますが東側のインターが内宮に近いのでここに決定です。まだ朝早い時刻が幸いして駐車場に車を停めることが出来ました。参道を歩いて五十鈴川に架かる橋を渡れば内宮の領域に入ります。川の袂では数人が戯れています。そして歩くこと約10分でお宮に到着します。この宮は20年毎に交互に立て替えるのです。以前に訪れたときのことが微かに思い出されてきました。しかし右だと思った建物が左だったりしているのは記憶の違いなのでしょう。我ながら記憶の不確かさに愕然としています。
 五十鈴川を戻って川沿いの道を歩きます。この先に大好きな赤福の本店が有るはずです。この参道は憶えているのですが、景色が全く違います。なんと赤福の本店付近の一角が洒落た雰囲気に改装されていました。この場所を「おかげ横町」と呼んでいて、飲食店や土産物店がそれぞれの個性溢れる店造りをしています。どの店もこぢんまりした癒し空間を演出しています。ただ通り過ぎることは出来ない街並みを歩いていれば、お茶屋さんが気軽に話しかけてきました。そんな雰囲気にはつい弱くなるもので、抹茶を一缶買うことになりました。ふと我に返れば、ここに来たのは赤福を買うことだったと気が付いて、角の赤福本店の店先に来ました。五十鈴川に架かる橋の横で、甘い香りを誘います。土産を手にして車に戻ります。
 伊勢市から大王へと有料道路を通り志摩半島のドライブです。大王崎の灯台・賢島の海岸へと移動して一人旅を満喫しています。時間も気にせず行きたいときに行きたいところに行けば良いのです。そして、五ヶ所湾へと移動しています。この辺の道路は狭く、入り組んでいて緊迫感が全身を包みます。そしてパールラインを通れば志摩の旅の醍醐味があります。さらに鳥羽市へと行く途中の展望台からの夕暮れの景色は心に深く刻まれていました。
                                                    2003/6/17

235.高知県を西、東 2000年2月10日〜12日
 関東地方は真冬ですが、南国高知は温かくなりそうな時期となります。こんな時に高知の旅を選びました。宿泊は高知市のマンハッタンホテルです。何となく日本離れした名前はミステリアスな気分です。高知までの行き方はいろいろあってどれにしようかと思案が絶えません。まずは夜行列車で高松経由を試みましたが、満席で寝台は取れません。次に高知までの夜行バスをとチャレンジしても同様の結果です。もう一つ徳島への夜行バスはどうでしょうか。これも残念ながら満席で敗退します。それではどんな方法が残されているのでしょうか。有りました。
 会社を出て素早く家に戻り着替えをしてから東京まで新幹線を目指します。東京駅から京都まで新幹線のひかり号で一っ走り。京都には午後10時を廻っています。一旦駅を出て新しくなった京都駅の建物を眺めています。だんだん夜中に近づいてきて人の往来が少なくなってきます。そして、再び改札口からホームに入って列車を待ちます。入線してきた列車は高知・松山行きのムーンライト高知号と言う夜行列車なのです。この列車はカーペット車やグリーン指定席車などが連結されていて、隠れた臨時の普通列車なのです。この列車のグリーン車両に乗り込み、ゆったりと高知まで向かうことになりました。車内は3列シートで前後の感覚もたっぷり取ってあります。真横に近い状態で眠ることも出来そうです。毛布も一人一人備えられています。そして午後10時45分ガッタンと車体を軋ませながら列車は走り出しました。
 新大阪・大阪とのんびり停車しながら神戸の街を西に走っています。三宮も停車して明石・姫路と一歩一歩歩いているように走ります。岡山では高知からの上り列車とも顔合わせをします。ここからは瀬戸大橋線になります。橋が近づけば速度はぐんぐん上がります。トンネルを出ていきなり鉄橋に差し掛かるのは、感激の一言に尽きます。僅か10分程度で瀬戸大橋は渡ってしまいますが、海面からの高さが恐怖感を誘うので、ダイナミックな夜中の景色も眠気は飛んでいます。いよいよ四国に入りました。
 夜行列車と言っても運転の都合上停車は頻繁に行われています。しかし、夜中なので乗客の扱いは無しで、行き違い列車の交換や松山行きの分離が随所で確認できました。朝の気配が辺りを包む頃に高知駅に到着します。時刻は7時20分です。
 予め予約をしていたレンタカーに乗車して県内を走りましょう。西に行こうか東に行こうか迷ったけれど、まずは東を目指します。暫く走ってから温泉の看板に誘われて「夢の温泉」に着きました。朝風呂を浴びれば夜行列車の着かれも吹き飛びます。殆ど寝ていないにも拘わらず運転すると元気が出てきます。昔に足摺岬は行ったことはあったので今度は室戸岬に行くことにしました。道は海岸線沿いに繋がっています。室戸岬の灯台は高台にあり間近には行けません。海岸沿いの道路は波飛沫も掛かってきそうなくらい迫力があります。天気は上々で海もよく見えます。昼飯を食べようと近くの道の駅「キラメッセ室戸」に入りました。ここのレストランは非常に混んでいます。何故なんだろうと考えたら阪神タイガースのキャンプ地はこの近くの安芸に有るのです。食事は美味しく頂けて満足です。水も美味しそうです。この辺の海洋深層水なのでしょうか。
 高知市に戻り車を返す時刻には、まだ間があるので高知城へと出向きます。高知へは何度も来ていたけれど、まだ一度も入ってはいませんでした。天守閣は小さいけれど、昔からの建物は時代懸かっているので、趣があります。そして駅に着いて車を返しました。次の瞬間に・・・・
 会社の同僚と酒を酌み交わすのには場所が違っていても話しは盛り上がります。高知駅で偶然?に出会って晩酌をしたのです。本当に偶然かと言えば、それは秘密で、偶然という計画をしていたのです。同僚は前日から泊まっていてこの日も宿泊するはずなのに何故か荷物を抱えています。どうしたのかと聞けば、宿泊のホテルが取れないのだと言っています。そして仕方なくバスで名古屋へ行くそうです。何故名古屋なんでしょう。それは、名古屋以外のバスは満席で切符が手に入らなかったとのことです。なんと不幸な人でしょう。後は無事旅が続くことを祈りながらバスを見送りました。 一人ホテルに戻りぐっすり眠りに就きました。
 翌朝は小さな窓の隙間から朝日が漏れています。名前負けのホテルなのですが、朝食だけは拘っているのです。フロント横のティールームでの食事は美味しく沢山食べられました。そして高知市内を彷徨いた後駅から宿毛までの特急で西へと出かけたのです。井野・須崎を過ぎて四万十川が横を流れています。日本一の清流と言われているだけのことはあります。中村に到着すれば昔訪れたときのことを思い出します。あの民宿は今でもあるのだろうかと、ふと思い起こすのです。そして、終着駅の宿毛に到着しました。ここで昼食を食べて引き返したのです。
 高知から岡山までの特急列車では大歩危・小歩危の案内もあり景色を堪能して帰ることが出来ました。列車の旅は、景色を如何に見て過ごすかが大切だと思います。もちろん岡山からののぞみ号に夜間に乗車しても同じ事です。
                                                    2003/6/16

234.地下鉄博物館 2000年1月28日
 会社を半日で切り上げて、午後の休暇を楽しみます。山手線で高田馬場に下車して昼食を食べ、地下鉄に乗り換えるのです。これから行くところは初めての場所です。東西線は日中でも5分毎の運行で待ち時間は殆どありません。やがて地下から地上へと地下鉄は走ります。荒川を渡り葛西駅に到着です。この駅は高架の構造ですが、その下に博物館が開設されています。鉄道会社にはいくつかの博物館が有りますが、ここは首都高速度交通営団の運営なのです。入場するには電車の切符を購入するように自動販売機があり、小銭でチケットを手にします。館内はガード下と言うこともあり横に長くなっています。展示車両は初期のものから現役の車両まで数々のものがあります。実際の運転室での運転体験も出来て、ノッチとブレーキの操作をしています。そして、次のコーナーは模型のジオラマが有ります。これは交通博物館にもあり、ここを訪れる人の最大のターゲットとなっています。鉄道ファンにはたまらない施設なのです。
                                                    2003/6/15

233.高崎達磨寺 2000年1月10日
 高崎市にある達磨寺は1月のダルマ市で有名です。高崎駅の駅弁にもダルマ弁当が有るくらいです。地図で調べると市街地の西外れで利根川を渡った辺りです。行くしか有りません。
 関越道で前橋までのコースです。高崎インターでも良いのですが道路状況が分からないので幹線を走ることにしました。前橋インターからは国道17号線に入り高崎方面を目指します。高崎の市街には入らずに、環状道路を右折して利根川方面の近道へと向かうのです。地図で確認していた道と実際に通る道はイメージがちょっと違っています。川沿いの道は市内の外側を通っていて達磨寺への案内は出ていません。結局一旦は通り過ぎてから逆に走り左折をして寺の門前に到着しました。しかし、時刻は既に午後7時を過ぎています。寺の市は既に終了しているようです。近くには売店がありダルマの購入には不自由しないのですが何となく残念です。この売店で購入することにしましょう。客は他にはいません。大きさそのまま売値の基準になっていて中程の大きさで値切ることにしましょう。でも、相手も商売上手です。値切りはそこそこに、おまけを幾つも付けて交渉は終了します。買った方も得した気分になってしまうのは何故でしょうか。
                                                    2003/6/15

232.東松山・熊谷へ 2000年1月3日
 正月休みで、この日も何処かへと出てみたけれど、行く宛て無しのぶらり旅。遠出はしたくても、出発時刻は午後となっては近場で済ますしか有りません。関越道で東松山インターで下りて森林公園方面に走ります。道路は良くてスイスイといい感じ。そのまま走っている方が良くなってしまいます。尚も進んでいくと熊谷市になります。熊谷の街は昔から良く通っていて渋滞が名物となっていたことを思い出します。しかしバイパスや高速が開通してからは市内の繁華街を通ることは滅多になくなりました。暫くぶりに町中を走っているとタイムマシンで時代が飛んでしまったようです。熊谷の街からは国道17号線を大宮方面に戻り国道16線に乗り換えれば家に着けるのも昔通りの道順でした。
                                                    2003/6/15

231.二つの新幹線 2000年1月1日
 元旦の初詣は毎年の事で、行き場所を検討するのです。数日前に駅のポスターで元日の一日乗車券の事が書かれています。この切符はJR東日本の範囲内では普通車の自由席を乗り放題となっています。しかも、新幹線も同様の扱いです。これで決まりとばかり計画を立てます。
 元旦の朝は早めに家を出て駅に向かいます。この日の乗車は東京駅から指定席を取っています。自由席では座れない可能性があるからです。上野で山手線に乗り換えて東京駅に着きます。東京駅は元日の早朝というのに混雑しています。同じような人が多いのでしょう。ホームに上がって自由席に並んでいる人も多く指定を取ってあったことで安心感が出てきました。乗る列車は新庄行きの「つばさ」号です。東北新幹線には何度も乗車していましたが、山形方面には今回が初めてです。満員の乗客を乗せて静かに列車は動き出しました。神田を過ぎれば直ぐに地下に入りトンネル区間が始まります。この列車は上野駅には停まりません。時速100キロくらいで通過するのです。そこから2〜3分して地上に戻りスピードが上がってきました。荒川を渡り埼玉県に入るとスピードは一段とアップして、景色が流れています。東北地方まで時間はさほど掛かりません。福島に到着しました。福島駅では仙台方面の列車と新庄行きの列車が分離されます。我々の列車は前よりの山形方面なので先に駅を出発します。線路はいきなり単線となり大きなカーブをゆっくり走り、板谷峠に向かっています。庭坂の駅を通過した頃から新幹線とは思えないほどのゆっくりした速度と上り坂に掛かります。回りの景色は雪があり、峠越えの冬が目の前に現れています。米沢を過ぎて山形駅に停まります。外は寒そうな気配で雪がちらついています。さくらんぼ東根付近では、果樹の畑が見えていて山形らしさが色濃くなります。そして単線区間を交えながら終着駅の新庄に到着しました。
 新庄駅は奥羽本線の途中駅なのに線路は南北では全く違うのです。山形・福島方面は新幹線も走る標準軌間なのですが、横手・大曲方面は在来線用の狭軌なのです。それでホームでは線路が繋がっていません。在来線に乗り換えるのも階段を一切使わずに別な列車に乗車することとなります。前方のホームには酒田行きと秋田行きが並んで停車しています。両方とも乗り換え客で混んでいます。そして酒田行きの列車を見送った後、残りの秋田行きに乗り込みました。新庄を出るとローカル色豊かな景色に変化してきます。景色は深い雪が一面に広がっていて、ゆっくり一駅ずつ停車します。山深い景色から抜けると横手に列車は到着します。横手駅では下車する人が沢山います。雪は幾らか小降りになっていても気温はかなり低そうです。駅前のホテルの食堂で昼食タイムとします。ここでは稲庭うどんも定食に付いていて美味しく食べました。
 横手から大曲を通って秋田までは、やはりローカル線に乗ります。秋田駅に着いて市内を見物しようとしても雪がまだちらついていて思うようには出来ません。折角の元日なので、地元の千秋公園内にある弥高神社にお参りしました。これで正月行事も終了して駅に戻ります。ここからは東京行きのこまち号に乗ります。こまちは盛岡から東北新幹線と連結して走ります。秋田駅では既に列車に乗るための列が出来はじめています。しかし外気は寒くて待っている間も動いて暖をとらなくてはなりません。始発駅でも満員の盛況となります。こまち号が入線してきました。車内に乗り込むと席の配置は進行方向とは逆に向いています。そして出発時刻には既に立っている人も多いのです。発車のベルが鳴り終わりゆっくりとホームを離れています。後ろ向きの出発です。このことは次の駅で判明します。10分ほどで大曲駅に着きました。大曲では運転手が交代して進行方向が逆になるのです。ここでスイッチバックして角館・田沢湖を走ります。盛岡では駅に近づくにつれスピードは落ちています。ホームに半分差し掛かってから、何度も止まりながらゆっくり進入しています。前方のやまびこ号と連結するために少しずつ接近するのです。そして連結作業は完了して本格的な新幹線のスピードで東京を目指しました。
 帰りの新幹線も上野駅は通過してしまいます。東京駅までの新幹線は快適で安上がりのものとなりました。おまけは東京駅から上野駅まで3度目の新幹線で戻って締めたことです。山形・秋田の両新幹線は、完全なスピードの新幹線ではなく、乗り入れの形として成立しています。初めての体験は新鮮なものとしていつまでも快い気持ちを持続していました。
                                                    2003/6/14

                        230〜179へ続く