山に想うこと…

花

                
山をはじめたのは・・・ 

山を好きになったのはいつのころだったかな。
すでに小学生の頃は野球やサッカーに夢中になってる友達を
しりめにハイキングに行きまくってたような気がするなあ。ちょっと変わってるかな? 
家の近くにある生駒山(642.3m)にもよく登っていたな。
自然の中にいてるのを楽しんでたような気がする。


本格的に山に登り出すのは中学校に入ってから。
1年生の時は学校の先輩によく山に連れていってもらってたもんだ。
ただ先輩の後をついて登ってるだけだったけど・・・。
あっそうそうこの年は地元の少年団の行事で富士山(3776m)にも登ったんだった。

中学2年になると自分で計画をたてて登るようになってたな。成長したんだ。
友達と二人で金剛山(1125m)という大阪府で一番高い山に登りに行ったのが
僕の山登り人生のスタートのような気がする。
そしてその時にはなんとなく山歩きは一生続けて行くだろうなと思ってたかな。



山の魅力とは

「ようそんなしんどいことするなあ」って今までなんどもなんども言われてきた。
そりゃもう山に登るのはしんどい!
でもそのしんどさをはるかに越えるものが山にはあるんです。

山に入るだけでもう楽しくて楽しくて!
耳に入ってくるのは木々のざわめき、沢のゆるやかなせせらぎや岩をも砕くような激流の音。
谷を渡ってくる風の音、どこからか野生動物たちの鳴き声が響いてくる。
テントをたたく雨の音さえもなんだか心地よい。
それにしんしんと降る雪の中では何の音もない静寂の世界で自分の雪を踏む音だけが聞こえてくる。

目に入ってくるのはそれはそれは素晴らしい世界。
昼なお暗い深い森の中、明るい高原、頂上から見る絶景に満天の星達。
雨の日の山水画のような世界も良いかな。
同じ山でもそれぞれの季節で異なった景色を見せてくれるよね。
山にいてる間は身体全体がよろこんでる。



山に想うこと

つねに山や自然に対して敬意をはらってるつもり。
気分的には山の機嫌がいい時に登らせてもらってる感じかな。

けっして無理はしません。
山頂でのんびり景色を見てるのが好きなんですよ。
山にいてる間は時間がゆったり流れてる感じがする。
街にいるときとはまったく違った感覚ですね。

山にも険しい山、穏やかな山などいろいろ種類はあるけど
全ての山にそれぞれの魅力があって街での疲れを癒してくれるような気がする。



沢との出会い

ひとり山に入り頂上を目指す。頂に立ち雄大な景色を見下ろす。
自然との一対一の対話の中で満たされている自分がいた。
もちろん不満に思うことは何もなかった。

ある時、「装備は全部用意するから」と沢登りに誘われた。
なんとなく面白そうだし、やってみようと思う。

沢登り・・・ はるか いにしえの人々が山に登る手段として谷があった。
しかし、それは僕にとってとても新しい出会いだった。道のない道を行く。ルートを決めるのはもちろん自分だ。
淵が行く手を阻めば泳げばいい。滝が立ち塞がったら登ればいい。いやなら高巻いたらいいだけ。
決まったルールなどは存在しない。この国には幾千幾万ともしれないほどの谷が存在する。
それぞれの谷にそれぞれの表情があり、時に威圧的に、時に優しく僕を迎えてくれた。
時々ではあるが自然の恵みももたらしてくれる。

数ある山行形態の中で沢登りこそ一番自然を身近に感じることが出来るのではないだろうか。

そして、僕は一人ではなくなっていた。一人では越えれない大岩に出くわすと誰からともなく肩に乗れと差し出してくれる。
先に登ったものはすぐにスリングを出し後続をひっぱり上げる。判断に迷った時、そこにいる誰かが突破口をひらいていく。
チームワークで登る山を知った。そして仲間を知った。
暗黒世界のようなゴルジュを目の前にしたとき。
轟音と共に落ちる滝を見上げたとき。
緊張と畏怖に心が支配されそうになるとき。
悠々とした仲間の姿がとても頼もしくそばにあった。

もちろん自然を相手にしてる以上は背伸びをしすぎると痛い目にあう事もある。
でも大丈夫、その人のレベルに応じた谷は必ず存在するのだから。
この世のものとは思えない美しく穏やかな景色に出会ったとき。
1日の遡行を終え、穏やかな流れのほとりで焚き火を囲むとき。
達成感と喜びに心を震わせてるとき。
静粛な谷にみんなの楽しげな笑い声が響いていく。
きっと沢登りには子供の心を取り戻してくれる魔法があるのだろう。
あのワクワクした冒険心を満たしてくれる何かがそこにはあるのだ。
そしていま、沢を知った自分がいる。仲間を知った自分がいる。
知らなかったときより確実に世界は広がっているはずだ。

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