南蛮寺

なんばんじ

南蛮寺址

<永禄2(1559)年>
 イエズス会、洛中での布教を開始。

<永禄3(1560)年>
 足利義輝、洛中での布教を正式に許可する。

<永禄4(1561)年>
 イエズス会、洛中に礼拝堂を建設。

<天正4(1576)年>
 南蛮寺を建設。

  7月21日、南蛮寺での初めてのミサが行われる。

<天正15(1587)年>
 6月19日、豊臣秀吉、「伴天連追放令」発布。

  この「伴天連追放令」を受け、南蛮寺は破却される。

<慶長18(1613)年>
 徳川家康、全国に禁教命を発布。


南蛮寺は、
四町四方の面積を持ち、
三階建で和風建築の建物であったと伝えられる。

当初「永禄寺」とも呼ばれた。

上洛を果たした織田信長の庇護を受けて隆盛を極めるが、
豊臣秀吉の「伴天連追放令」発布によって南蛮寺は破却される。

しかしキリスト教各派の上陸により秀吉の禁教政策が緩和される。
このため南蛮寺は再建されたとも言われるが、
詳細は不明である。

江戸時代に入ると徳川家康の「禁教令」によって、
キリスト教は徹底弾圧され布教活動そのものも禁止される。

現在、妙心寺塔頭春光院には、
南蛮寺のものと伝えられる鐘が残されており、
重要文化財の指定を受けている。

京都市中京区蛸薬師通室町西入姥柳町。

     部はクリックすると説明ページが表示されます。

 (C) よろパラ 〜文学歴史の10〜