松平清康

まつだいらきよやす (1511〜1535)

略伝

戦国時代。

松平氏当主。

安城(安祥)松平氏。

家督相続後は、
東に今川氏、西に織田氏と強大な勢力に挟まれた
三河国の統一を図り矢継ぎ早な戦略で、
三河国を掌中に収め、戦国大名としての自立も叶いかけた。

この一連の軍事行動を通し、
一族内部で庶家の家臣化、また地域での譜代家臣の成立など、
松平氏の戦国大名としての地盤固めは形成されつつあった。

また清康は「世良田」姓を名乗り、
ここに源氏一門としての松平氏を初めて主張する。
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天文4(1535)年、尾張国侵略中に生じた『守山崩れ』により生涯を閉じる。
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清康によって開かれた松平氏雄飛の機会は、
その後、家康の登場を待つことになる。

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年表
父:松平信忠。

<永正8(1511)年>
 誕生。

<大永3(1523)年>
 家督相続。

<大永4(1524)年>
 5月、岡崎松平氏を攻略。
     本拠地を岡崎に移す。

<大永5(1525)年>
 足助城攻略。

<享禄2(1529)年>
 東三河地域、軍事制圧。
 尾張国侵略開始。

<享禄3(1530)年>
 東三河地域、完全制圧。

<天文4(1535)年>
 12月4日、尾張国守山方面へ侵略開始。
 12月5日、『守山崩れ』で死去。法名・善徳院年叟道甫。

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