【略伝】

欽明天皇朝~敏達天皇朝。

「直」姓。
東漢氏一族。
池辺氏。

池辺氷田は、欽明天皇14(553)年、河内国の海中から怪異の樟木を引き上げる。

その後、敏達天皇13(584)年には、仏教修行者を探し出し、仏教に帰依して篤く信仰している。

それ以外の消息は不明。


池辺氷田は、東漢氏と同祖である。

拠って、蘇我氏に隷属する立場に置かれており、氷田も、蘇我稲目、蘇我馬子の二代に渡って仕えていたものと見られる。

この氷田の名が、正史上に初めて見えるのは、大和朝廷に公に仏教が伝来したとされる欽明天皇13(552)年の翌年、即ち、欽明天皇14(553)年のことである。

5月、河内国の沖合いの海中から楽の音色が聞こえ、さらには、海中が光輝くと言う怪異現象の発生が報告される。

そこで、欽明天皇から現地の調査を命じられたのが、氷田であった。

氷田は、海中に入り、光輝く樟木を発見し、持ち帰り献上する。この樟木を目の前にした天皇は、画工に命じて、仏像二体を製作させる。これが日本製の仏像が造られた最初である。

時期について、『日本霊異記』では、上記の怪異は、敏達天皇の御代のこととしている。恐らく、正史は、仏教伝来を修飾するために、伝来の翌年に、仏教の奇跡が起こった、としたのであろう。

そして、『日本霊異記』は、
池邊直氷田を請けて佛を雕り、菩薩躯の像を造り、豊浦の堂に居きて、諸人仰敬す
(『日本古典文學大系70 日本靈異記』 遠藤嘉基 春日和男 校注 岩波書店)
と、氷田が、馬子の命令を受けて、その樟木を使って、国産最初の菩薩像三体を製作し、豊浦の仏堂に安置し祀った、としている。

いずれにせよ、日本が初めて造った仏像に、氷田は深く関わっていたのである。

敏達天皇13(584)年には、馬子の命令を受けて、司馬達等と共に、各地に仏教修行者を求め、遂に、播磨国の恵便を探し出し、馬子等と共に仏教に帰依する。


日本古代史において、蘇我馬子の仏教政策に深く関わった人物としては、司馬達等が有名である。
だが、実際には、池辺氷田もまた、達等と同格、あるいは、それ以上に、もっと仏教に深く関わっていたのである。

その氷田の評価が低い理由は、恐らく崇峻天皇の暗殺実行犯として東漢氏が捕まる等、東漢氏には大逆の印象が強いためであろう。

そして、蘇我氏の功績を骨抜きにする意図を持って行われた正史編纂の過程で、蘇我氏と結びつきの強い東漢氏と仏教との関係性が薄められた結果かも知れない。

だが、大和朝廷が仏教を受容する初期段階において、蘇我氏の下で、大きな功績を挙げたのが、池辺氷田であったと言えるだろう。

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【年表】

<欽明天皇14(553)年>
 5月、海中から樟木を見つけ出す。

<敏達天皇13(584)年>
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