近江朝。
吉備国守。
「公」姓。
当麻氏。
当麻氏は用明天皇の皇子である当麻皇子を始とする。
この当麻皇子の外祖父が当麻之倉首比呂で別名を葛城磐村と言い、
大和国葛城地域を本拠としていた。
その当麻氏出身の広嶋は近江朝廷から、
中国地方の要所である吉備国守に任命されていた。
しかし当麻氏はもともと大海人皇子に、
心を寄せていた節があり、そのことを危惧した近江朝廷側では、
大海人皇子が挙兵するや朝議により直ちに樟磐手が吉備国へ派遣された。
目的は近江朝廷軍としての吉備国内での徴兵実施と出兵命令である。
そしてこの時、樟磐手には密命が与えられている。
もしも広嶋が近江朝廷への反逆の姿勢を示すようなことがあれば、
『若し服はぬ色有らば、即ち殺せ』
(『日本古典文學大系68 日本書紀 下』 坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)
というものであった。
樟磐手は吉備に赴くと、吉備国守の広嶋に対して、
近江朝廷からの出兵命令が記されていたであろう「符」を伝令している。
この瞬間に樟磐手は「符」に目を通す広嶋の表情から、
その心の内を読み切ったに違いない。
この樟磐手の行動を知ってか知らずか、
広嶋は樟磐手により『紿きて刀を解かしむ』
(『日本古典文學大系68 日本書紀 下』 坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)
状態とされてしまったのである。
つまり樟磐手によって言葉巧みに安心させられ、
つい刀を外し丸腰状態となったのである。
(注)当サイト内にある記事・画像等の無断複写及び転載は固くお断りいたします
そしてその場で樟磐手によって斬り殺されている。
これは筑紫大宰であった栗隈王が同じく近江朝廷の使者であった佐伯男に対し、
警戒を怠らず、常時、栗隈王の傍で武家王と三野王が警護していたのとは、
あまりにも好対照な結果と言える。
樟磐手とどのようなやり取りがあったのかは、
正史には何も記されていない。
しかし吉備国守である広嶋が殺害された結果、
吉備国は混乱をきたしたことは間違いないであろう。
近江朝廷はその収拾に当たる労力が増えたのである。
(C)よろパラ 〜文学歴史の10〜
このことから広嶋は自らが命を落とすことによって生じる混乱が、
近江朝廷軍の軍事行動を遅らせることを狙ったのではないだろうか。
それはまた己の命と引き換えに、吉備国内の兵と、徴発されるであろう農民、
そして大海人皇子側の兵らの命を守る道を、
選んだのではなかったろうか。
とすると広嶋の死は「戦死」と呼べるものである。
部はクリックすると説明ページが表示されます。