豊城入彦命

とよきいりひこのみこと (?〜?)

略伝

崇神天皇朝。

崇神天皇皇子。
「豊木入日子命」とも書かれる。

母親は紀伊国の荒河戸畔の娘で、
崇神天皇の妃に迎えられた遠津年魚眼妙媛。
同母妹に豊鍬入姫命がいる。

崇神天皇48(紀元前50)年、
崇神天皇は自らの継承者について、
豊城入彦命と皇后・御間城姫の子である活目入彦尊とに詔を与えて、
二人とも可愛いのでどちらか一人を選び皇太子とすることは、
自分ではとても決め難いと告白している。

そこで豊城入彦命と活目入彦尊が、
それぞれ見た夢によって判断を下す旨を告げた。

豊城入彦命の見た夢は、
自登御諸山向東、而八廻弄槍、八廻撃刀
(『日本古典文學大系68 日本書紀 上』 坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)
というものであった。

一方の活目入彦尊が見た夢は、
「四方に縄を張り、実った粟を雀から守る」という夢であり、
この結果、崇神天皇は、四方に気を配り豊醸を考える活目入彦尊を、
皇太子に立てることを決めるのである(のちの垂仁天皇)。
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豊城入彦命はその夢の中で、
ひたすらに東国方面のみに武器を使っていたという理由から、
崇神天皇により東国方面の平定と支配を任されることとなった。

こうして豊城入彦命は東国へと赴任し、
上毛野臣と下毛野臣の祖となったと伝えられる。

《関係略図》
       荒河戸畔━遠津年魚眼妙媛              │              ┝━━━━━━┳豊城入彦命              │      ┗豊鍬入姫命              │  孝元天皇━┳開化天皇━崇神天皇       ┃      ││       ┃      │└──────────────────┐       ┃      │                   │       ┃      ┝━━━━━━┳活目入彦尊(垂仁天皇) │       ┃      │      ┣彦五十狭茅命      │       ┃      │      ┣国方姫命        │       ┃      │      ┣千千衝倭姫命      │       ┃      │      ┣倭彦命         │       ┃      │      ┗五十日鶴彦命      │       ┃      │                   │       ┗大彦命━━御間城姫                 │                                  │              ┌───────────────────┘              │              ┝━━━━━━┳十市瓊入姫命              │      ┣淳名城入城姫命              │      ┣八坂入彦命              │      ┗大入杵命              │             尾張大海媛

豊城入彦命の東国下向の逸話は、
崇神天皇10(紀元前88)年に行われたとされる四道への将軍派遣事業、
即ち大彦命を北陸道に、武淳川別を東海道に、吉備津彦を西道(山陽道)に、
そして丹波道主命を丹波道に派遣した事業との関連が伺える。

豊城入彦命の東国への派遣の真相は、
恐らくは皇太子候補ともなった皇子を東国へ派遣することで、
畿内の「王権」の力が東国へ広く及ぶことを期したものであったろう。


これらの地方遠征が史実として、
この時代に実際に行われたかどうかは検証を要するが、
崇神天皇の治政下において、「三輪山の神」を押し立てて、
畿内の王権による地方の支配が推進されたとする点で、
豊城入彦命の存在は極めて注目されるのである。
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なお豊城入彦命の母について『日本書紀』は、
別説として大海宿禰の娘で八坂振天某辺とも伝えているが、
この記事に関しては別の妃である尾張大海媛との混乱とも読み取れ、
一切の詳細は不明である。

年表
父:崇神天皇、母:遠津年魚眼妙媛。

<崇神天皇48(紀元前50)年>
 正月10日、皇位継承に関して夢占いをする。
 4月19日、東国支配を任される。

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