【よろパラ 〜文学歴史の10〜 年表】 |
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【宝亀4(773)年】 |
月日 | 天皇 | 政体 | 事項 |
正月元旦 | 第49代 光仁天皇 |
右大臣 大中臣清麻呂 内臣 藤原良継 大納言 文室大市 藤原魚名 中納言 藤原縄麻呂 石上宅嗣 |
不破内親王、四品 |
5月12日には三品となる。 |
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正月2日 | 山部親王、立太子 | ||
光仁天皇皇子。 後の第50代桓武天皇。 母は高野新笠。 同母弟に早良親王。 |
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正月7日 | 大赦 | ||
八虐等の重大犯罪の罪人は対象外とされる。 |
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2月27日 | 楊梅宮、完成 | ||
高麗福信が造営を指揮。 宮が完成後、すぐに天皇は行幸する。 |
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3月14日 | 米価対策、実施 | ||
米価が高騰したために、 米価の安値安定を図って。 市場の米価が安値の時に10000束以上の私稲を、 売却した者に位一階を授与することを決める。 |
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4月17日 | 大赦 | ||
『橘奈良麻呂の乱』 『恵美押勝の乱』等の罪人も 大赦の対象とされる。 ≫『橘奈良麻呂の乱』 ≫『恵美押勝の乱』 |
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6月12日 | 渤海使、能登国へ来朝 | ||
渤海使は天皇との謁見を望んだが 朝廷では渤海使の国書が無礼であるとして、 俸禄と食料を与えた上で、 国外退去処分とする。 |
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10月6日 | 安宿王に「高階真人」姓を下賜 | ||
長屋王の子。 ≫『安宿王』 ≫『長屋王』 |
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10月14日 | 難波内親王、薨去 | ||
光仁天皇の同母姉。 |
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10月19日 | 井上内親王らを幽閉 | ||
井上内親王は宝亀3(772)年に廃后され、 今回も難波内親王を呪詛したとして、 他戸王と共に大和国宇智郡に 幽閉処分とされる。 |
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11月27日 | 良弁、死去 | ||
東大寺初代別当。 ≫『東大寺』 |
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12月25日 | 大赦 | ||
「薬師経」に従った大赦とされる。 |
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《宝亀4(773)年のポイント》 光仁天皇の後継者として山部親王が立太子する。 ここに皇統は、天智天皇皇統の光仁天皇から、 その皇子である山部親王へと相続されることが決まったことで、 天武天皇元(672)年以来の天武天皇皇統から、 天智天皇皇統へと完全に戻ることとなる。 この年、大赦が繰り返し実施されているのは、 皇統遷移に対する民心の安定と掌握にあると推察されるものであり、 さらに井上内親王と他戸王を幽閉処分することにより 天武天皇皇統への決別を明確にしている。 安宿王への「高階」氏の授与もこの流れにある。 この一連の政治的な動きの背景には、 藤原氏の大きな思惑があったものと考えられる。 天武天皇皇統の都である 平城京の象徴であった東大寺の造営に、 心血を注いた良弁がこの年に亡くなったことも、 極めて象徴的な出来事でもあった。 |
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