【よろパラ 〜文学歴史の10〜 年表】
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【神亀4(727)年】
月日  天皇 政体 事項
2月21日 第45代
聖武天皇
知太政官事
舎人親王
左大臣
長屋王
大納言
多比治池守
中納言
大伴旅人
藤原武智麻呂
天皇、官人の勤務について詔勅を下す

 詔勅は内安殿において、
 文武百官を集めた上で長屋王が読み上げた。

 官人の勤務評定を厳しく行うこととし、
 さらに地方の国司も評定するために
 七道諸国に巡察使が派遣された。


5月4日 天皇、甕原離宮に行幸

 甕原離宮は後の恭仁京。

9月3日 井上内親王、斎宮となる

 聖武天皇の内親王。
 伊勢神宮に派遣される。


9月21日 渤海使、来朝

 渤海より高斉徳を大使とする24人が来朝。
 しかし出羽国に到着したために、蝦夷に襲撃され、
 16人が殺害される惨事となる。


閏9月29日 皇子が誕生

 聖武天皇と、
 夫人の藤原光明子との間に、
 皇子が誕生する。
 ≫『光明皇后』


10月6日 知太政官事
舎人親王
左大臣
長屋王
大納言
多治比池守
中納言
大伴旅人
藤原武智麻呂
阿倍広庭
阿倍広庭、中納言となる

 阿倍広庭とも記される。
 阿倍御主人の子。
 ≫『阿倍広庭』
 ≫『中納言』


11月2日 皇子を皇太子とする

 皇子の誕生以来、
 大赦及び官人たちへの物品の下賜を経て、
 この日、立太子を天下に公布する。


12月10日 姓を下賜する

 義淵とその兄弟に「岡連」を下賜し、
 県犬養五百依らに「県犬養宿禰」を下賜する。


12月20日 巡察使、帰還

 正月の詔勅に基づき、
 七道諸国に派遣していた巡察使が
 帰還し地方の政治状況について報告。
 結果、丹後守の羽林兄麻呂が流罪に処された。


 

 《神亀4(727)年のポイント》

 この年、藤原不比等と県犬養三千代との間の娘で、
 聖武天皇の夫人であった光明子(安宿媛)が皇子(基皇子とも某皇子とも)を出産。
 数ヶ月後には立太子することとなる。

 ここに不比等が亡くなって権力争いが熾烈となった朝堂において、
 再び藤原氏が圧倒的に優位な立場を固める。


 

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