【よろパラ 〜文学歴史の10〜 年表】
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【和銅7(714)年】
月日  天皇 政体 事項
正月3日 第43代
元明天皇
知太政官事
穂積親王
左大臣
石上麻呂
右大臣
藤原不比等
封戸加増

 長親王・舎人親王・
 新田部親王・志貴親王は封戸200戸加増。
 長屋王は封戸100戸加増。
 ≫『長親王』
 ≫『舎人親王』
 ≫『新田部親王』
 ≫『志貴親王』
 ≫『長屋王』


正月5日 叙位

 丹治比池守、従三位。
 ≫『丹治比池守』


正月20日 封戸加増

 氷高内親王、封戸1000戸加増。

2月3日 富国の詔

 調(あしぎぬ・絹糸・真綿・麻布)を納める国は、
 領内の人民に絹糸・真綿等を蓄えさせ、
 生活の向上を図るように奨励させる。


3月10日 義門、還俗する

 占術に専念させるため。
 従五位下大津意比登と名乗る。

 ※ 「比」は田へんに「比」


4月15日 小野毛野、死去

 小野毛人の子。
 時に従三位中納言。


5月1日 大伴安麻呂、死去

 大伴長徳の子。
 時に正三位大納言。
 ≫『大伴安麻呂』


6月25日 首皇子、立太子

 文武天皇皇子。母は藤原宮子。この日、元服。
 6月28日には全国で大赦が実施される。
 ≫『藤原宮子』


11月11日 新羅外交使節団、来朝

 金元静率いる20数名の外交使節団。
 日本側では畿内から騎馬980騎を動員し、
 歓迎式典に備える。

 この新羅外交使節団は12月26日に、
 平城京に入京する。


11月26日 大伴旅人、左将軍に就任

 大伴旅人が左将軍となる。
 多治比広成と久米麻呂を、
 左将軍の副将軍とする。

 また石上豊庭を右将軍とし、
 上毛野広人と太遠建治を、
 右将軍の副将軍とする。
 ≫『大伴旅人』


 

 《和銅7(714)年のポイント》

 この年、文武天皇の皇子である首皇子が立太子する。
 母は藤原宮子であり、ここに藤原氏と関係の深い皇太子が登場する。

 この首皇子の立太子に備える形で、有力皇族には加増がなされ、
 一般人民の困窮にも対応策がなされている点が注目される。

 中央の政治的な動きを見ると大伴安麻呂や小野毛野と言った
 重臣たちが亡くなり藤原不比等による政権の掌握が、
 一層進むこととなっている。


 

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