【よろパラ 〜文学歴史の10〜 年表】 |
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【和銅元(708)年】 |
月日 | 天皇 | 政体 | 事項 |
正月11日 | 第43代 元明天皇 |
知太政官事 穂積親王 右大臣 石上麻呂 大納言 藤原不比等 大伴安麻呂 |
武蔵国秩父郡より和銅献上 |
元明天皇は詔勅で、 元号を「慶雲」から「和銅」に改元し、 全国に大赦を行う。 |
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2月11日 | 催鋳銭司、設置 | ||
多比治三宅麻呂が任命される。 催鋳銭司とは造幣監督官のこと。 |
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2月15日 | 平城京造営の詔 | ||
元明天皇は詔の中で、 天体観測・地相の結果や、 中国の故事を出して藤原京を棄都し、 新都を造営する旨を宣言している。 |
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3月13日 | 知太政官事 穂積親王 左大臣 石上麻呂 右大臣 藤原不比等 大納言 大伴安麻呂 |
任官 | |
石上麻呂、左大臣。 藤原不比等、右大臣。 大伴安麻呂、大納言。 ≫『大伴安麻呂』 小野毛野、中納言。 阿倍宿奈麻呂、中納言。 ≫『阿倍宿奈麻呂』 中臣意美麻呂、中納言。 ≫『中臣意美麻呂』 粟田真人、大宰帥。 ≫『粟田真人』 平城京体制が固まる。 |
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3月22日 | {杖を下賜 | ||
大宰帥、八人。 大宰大弐、四人。 尾張守、四人。 伊勢守・美濃守・越前守、二人。 伊勢守・美濃守・越前守は、 鈴鹿・不破・愛発の関の管理者として、 特に下賜されたもの。 {杖とは護衛兵のこと。 |
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5月11日 | 和同開珎が使われる | ||
この時に流通したのは「銀銭」とされる。 |
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6月25日 | 但馬内親王、逝去 | ||
三品。 天武天皇の娘。 |
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8月10日 | 和同開珎、流通 | ||
7月26日、近江国に対して、 和同開珎の銅銭の鋳造を命じ、 それが完成し使われたもの。 |
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9月20日 | 天皇、平城行幸 | ||
事実上、新都造営予定地の決定である。 |
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9月28日 | 出羽郡、創立 | ||
越後国の願いにより出羽郡を建てる。 東北(蝦夷地)経営が新しい段階に入ることとなる。 |
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9月30日 | 造平城京司を任命 | ||
阿倍宿奈麻呂・多比治池守、長官。 ≫『多比治池守』 中臣人足・小野馬養・小野広人、次官。 坂上忍熊、大匠。 |
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12月5日 | 新都造営地で地鎮祭 | ||
平城宮の造営地で行われたとされ、 ここから平城京の造営は急ピッチで、 推進されることとなる。 |
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《和銅元(708)年のポイント》 古代において二つの意味で重要な分岐点の年と言える。 ひとつは「和同開珎」(銀銭・銅銭)が鋳造され流通したことであり、 東北(蝦夷地)に「出羽郡」が置かれたことである。 これにより経済的基盤がある程度固められた。 もうひとつは「平城京」への遷都の決定である。 これまでに造営された都とは違い、 東アジアを睨んだ初めての本格的な都の建設であり、 当時の日本という国家の総力を挙げた一大事業であった。 それに伴い国家総動員体制とも言える政権となっている。 そして何よりこれらの事業の推進実施を決断したのが、 元明天皇という女帝であったことが注目される。 |
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