受験資格取得まで | |||
大学時代 | 一応、社会福祉士の指定15科目を履修。実習は某県の肢体不自由児施設に。 当然、4年の時に受験資格は持っていたのだが、すっかり申し込みを忘れていた。 そんなある日、大学の学生課から電話。「Nさんは社会福祉士の試験を受験されないのでしょうか?」 「すっかり忘れていました。明日にでも行って手続きします。」→「いえ、昨日で受付は終わったんですけど」 ・・・だったら、わざわざ電話かけてくるなよ。全く不親切な学生課だ。せめて2日前に電話するとかしてくれよ。 というわけで、ほとんどの学生が受験している中、俺は受験することはできませんでした。 一言でいうと、こんな大事な試験を忘れる奴が悪い。 |
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就職1年目 | 5月の時点で、一緒に入った同僚に「9月くらいに試験の申し込みがあるから、お互い忘れないようにしよう」と堅く誓い合ったにも関わらず、同僚は申し込みを済ませ、俺は10月末になって気付いた。 この年も受験することはできず。同僚は結局当日受験せず、なぜか仕出し弁当の手伝いをしていた。 |
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就職2年目 | この年から精神保健福祉士が国家資格に。作業所に施設の現任者受験の施設証明申請書が送られてくる。 現任者の期間は5年で、俺は最後の年の1発勝負であることを知る。 ある病院の先生から、「Nくんは今年試験受けるんでしょ。これあげるから頑張って受かってね。」と 「精神保健福祉の基礎知識」上下巻を頂く。でも、俺が持ってるのは社会福祉士の受験資格なんですけど… この年になると、もう社会福祉士はどうでもよくなり当然受験はしなかった。 |
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就職3~5年目 | 試験のことは考えず、普通に日々を過ごしていた。 作業所の仕事のことを考え調理師免許受験を本気で考えていたが、これも申し込みを忘れ断念。 |
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就職6年目 | 現任者講習最後の年。さすがにこの年だけは申し込みを忘れることはなかった。 また、地域生活支援センター・小規模授産の次年度立ち上げを控え、精神保健福祉士に受からなければならない状況になった。(特にセンターの職員配置の絡みで) 現任者講習に俺と運営委員長の分を申し込み、受験をする体制が整った。 |
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現任者講習~受験まで | |||
8月 | 都内にて現任者講習。コーヒーサービスがあるいい所でした。 知り合いの病院PSWがいて、毎日机を並べて勉強しているはず…だが、とりあえず「お互いいびきをかきだしたら起こす」という協定を結び、2人してよく寝ていた。また、お互いラーメンが好きということがわかり、おいしいラーメン情報を交換し合うことができ有意義であった。 就職してからというもの都内に電車で通うということがほとんどなかったので、講習後ラーメンを食べに行ったり、レジーと飲んだりしてけっこう楽しかった。 講習料+テキスト代で約10万円はかなり痛い出費であったが、楽しいこともあったのでよしとする。 |
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9月 | とりあえず、精神保健福祉士の受験申し込みをすることに。 社会福祉士をどうしようか迷ったが、結局受けることを決め、母校へ証明書を取りに行く。 学生課に証明書の申請に行くと、「Nさんは学生時代には受けていないんですか」と驚かれる。 そんなに珍しいことなのか…。でも学生課さん、2日前に電話くれれば… って今更言ってもしょうがないか。 「こういう場合は結構時間がかかるんですよ」と言われ、一週間くらい待たされ郵送されてきた。 その後、無事に精神保健福祉士&社会福祉士の受験申し込みを済ます。 |
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10月 | まだ受験まで日があるとのことで緊張感は全くナシ。 悪い遊び「ミリオンゴッド」にはまってしまい、ほとんど毎日仕事の帰りに打ちに行く生活を送る。 その甲斐あって、未だ達成したことのなかった万枚突破を3回記録する。 ちなみに、最高勝ちは27万で最高負けは12万5千。トータルでは+20万くらいに落ち着く。 しかし、大事な受験前に何をやってるんだか。というか人として間違っている。 |
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11月 | 受験2ヶ月前。そろそろやばくなってきた。 とりあえず「ミリオンゴッド」ブームが自分の中から去り、安定した生活に戻ってくる。 でも、バスケに行ったり、みんなと遊んだりする生活は変わらず。 勉強も少しはしなくちゃと思い、「ワークブック」という奴を買ったが、間違えて2002年度版を買ってしまった。 とりあえず、それを使って勉強を少しずつ始めるが集中力は全然無い。特に法学は全然わからんかった。 このころヨガヨガはリーグ戦の涌井土木戦に勝つために燃えていた。管理人Nも密かに燃えていた。 そのために、後半はバスケが気になり勉強どころではなかった。 |
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12月 | 受験まであと一ヶ月足らず。本当にヤバくなってきた。 普通に勉強に集中することができず、インターネットなどを見て「みんな頑張ってるな~」と思っていた。 「手に取るように心理学用語がわかる本」を購入し、通勤途中に読む。これは役に立った。 ちなみに、「社会学がよくわかる事典」はよくわからなかったのでお勧めできません。 勉強よりも忘年会を優先する姿勢を妻に咎められながらも、忘年会に出動。呆れられる。 |
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1月 | 受験を月末に控え、さすがに焦ってくる。職場も受験体制ということで日曜勤務を外してくれる。 このころ予想問題集を購入。それを片っ端から解く事にする。ちなみに、買ったのは精神の2003年予想問題集と社会福祉士の15回予想問題集。 精神の方は、解いてみると合格ラインを超えていて、何とかなるんじゃないかと思う。。社会福祉士の方は全然だめだったけど、まあ受かれば儲けもんと自分を納得させていた。その後1ヶ月、問題集と悪戦苦闘する日々を過ごす。やってくうちに徐々に正答が増えていき嬉しくなる。(当たり前か) 受験4日前、大ショックな事が起こる。運営委員長の父上がお亡くなりになる。 日ごろから懇意にしてくれていた方なので、お通夜・告別式とお手伝いをする。そのため、受験3~1日前まではあまり勉強することはできなかった。でも、運営委員長はほとんど寝ていない状態。その方が心配であった。 |
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受験1日目 | 精神専門の受験。まあなかなかできたと思った。教室で一番最初に出て外の広場でボーっとしていたら、現任者講習を一緒に受けていたPSWと会いラーメン談義に花を咲かす。そうしたら無性にラーメンが食べたくなり、帰りにちょっと遠回りをして某ラーメンと食べてから帰る。大して美味くなく損をした気分に。 | ||
受験2日目 | 共通と社会専門の受験。一緒に受けた作業所仲間は午前中で終わり、みんなを見送り午後の試験に挑む。 午後の社会福祉士専門は児童福祉が全くといっていいほどわからず、これは0点では…と思う。 また教室で一番早く回答を提出し、ラーメンを食べてから家に帰る。 |
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模範解答発表 | |||
受験終了後、数日後から続々と色んな所から回答速報が出るようになった。 大体どれを見ても、ボーダーをちょっと超えたあたりに自分がいることがわかった。 共通問題に関してはかなり点が取れていて、おかげで社会福祉士の方もなんとかなりそうなところまで来ていた。 一番の懸念であった児童福祉も何とか1~2点を確保。これで0点で落ちることはないな~と思うことができた。 |
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結果発表 | |||
3月31日に試験の合格発表。しかし、なぜ2ヶ月も待たせるのか。不適切問題のせいなのか? 結果は両方合格。協会の正答と照らし合わせて見ると、実は社会福祉士の方が点数がよかったことがわかる。 |
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終わりに | |||
結局終わってみると、本当に受験のための勉強をしたのは正味最後の1ヶ月だけだった。 こんな状態でなぜ合格できたのかといえば、やはり就職してからの6年間の積み重ねだったのだろうと思う。 生活保護のことは、うちの利用者に生活保護の人が多く、その事については勉強しなくてはいけなかった。 精神障害については、利用者の病状や生活障害について考えていくためには当然知らなくてはいけないこと。薬についても然り。 介護概論とかも、高齢になった利用者や車椅子を使用している利用者もいて、彼らの事を考えながら問題を解いていくと自然に答えがわかるような気がした。だから利用者のみんなに感謝しなくちゃと思うと同時に、これからもよりよい仕事をしていかなければと思う。 |
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ただ一つ自分の中で消化しきれないこと | |||
試験の中で未だに消化しきれない問題が一つだけある。それは精神の専門の問77の事例問題について。 この設問の中で、Kさんは高校卒業後3年間OLとして働いているし、その後一時的ではあるけどパート就労もしている。 そういう人に対して「社会的経験が少ない」と言えるのか?(正答文中にその表現があり) このKさんが、うちの作業所に来たらトップクラスの社会経験になるぞ。高校出て3年間も働けてるじゃん。 俺はこの問題、A,C,Dがあってるから1が正答だと思ったけど、気に食わないから4にした。 一体どういう基準で問題を作っているのか。まあ難しいところだけれども…
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管理人Nの精神保健福祉士と社会福祉士受験体験記