公 開 講 演(2003年8月10日)

断 罪 と 平 和

―液状化した世界をどう建て直すか―

 

講師:最上 敏樹

国際基督教大学教授

同大学ロータリー平和センター所長

 

 

主催:横浜港南台教会 社会委員会

 

 

 

 

巻 頭 言

 

社会委員長:T.K

8月10日(日)の公開平和学習会には、国際基督教大学の最上教授をお招きして、現在の国際情勢と国際連合の関わりについて講演していただきました。先生は過密なスケジュールを抱えていらっしゃるにも拘わらず、私たち横浜港南台教会のための講演依頼を快く引き受けて下さいました。心より感謝いたします。

最初は参加希望者が少なく、折角の良い企画が生かされないのではないかとの懸念がありましたが、主日礼拝出席も予想より多く、また、外部からの参加者もあり、合計63名(女性40名、男性23名―他教会からの参加17名を含む)で、やや愁眉を開く思いでありました。

現在の世界情勢は21世紀を迎え、2大陣営の冷戦が解消したにも拘わらず、各地における紛争が絶えません。2度の世界大戦が終了して平和が到来した時の人々の解放感はなく、現在進行中のイラクの戦後についても、戦争開始の名目が大量破壊兵器の撤去であったのにも拘わらず、未だ発見されていません。英国ではブレア政権の情報操作が疑われ、その存続が危ぶまれています。また、米国でもブッシュ政権の戦闘停止宣言後も湾岸戦争を上回る戦死者を出している現状は、ベトナム化への恐れを一般市民の中に醸し出しています。

国連の安保理事会の承認なしでイラク開戦に踏み切った米英両国も、戦後処理についてはその協力を仰がざるを得なくなっているのが実状です。国連もさまざまな問題を抱え、その活動にも期待と同時に実行力に疑問も呈されていますが、唯一の世界平和を実現するための国際機関としての可能性は捨てることが出来ません。

長年にわたり実際に国連の組織に関わり、また、学者として国際関係の研究を専門的分野とされている最上教授ですが、今回は「平和を実現するクリスチャン」の面と気さくな暖かいお人柄を見せて下さいました。ブッシュ政権の性格、アメリカのいわゆる「ネオコン」の実状など、私たちがマスコミでは知ることの出来ない情報も各所で披露して下さり、目が開かれる思いでした。

教授は世界唯一の軍事大国としての米国が、「驕り高ぶっている」と見ておられ、ある国においてむごく「なぶり殺し」にされている人々への人道的救援は軍事力ではなされないとし、あくまでもその目的に相応しい力をもった国際的市民活動、いわゆるNGOへの期待を述べられました。もう少し長いお話と質疑応答を期待された方もいらっしゃったと思いますが、今回は「液状化する世界」を立て直すには「断罪=処刑」ではなく、平和を求めるためには「謝罪」と「和解」がキー・ポイントであることを教えられ、深い感銘を受けました。

                                2003.8.10

断罪と平和―液状化した世界をどう建て直すか―

講師:最上 敏樹

                         

こんにちは。ご紹介いただきました最上でございます。過分なご紹介をいただきましたが、ご覧のとおりの若造で、本日はお暑い中をお集まりいただきましたことを感謝しております。1時間ほどお話をお聞き下さい。

実は昨日夜まで所用があり、北海道に行っておりました。ご存知のとおり台風の最中でしたから、飛行機も随分欠航になっていて、ひょっとして今日は来られないのではないかと思ったものです。しかし、何とか飛行機も飛び、お約束を破らずにここに到着することができました。

実は私は飛行機が大嫌いで、子どもみたいですが、今でもああいう重いものが空を飛んでいることを信じていないのです。本当に情けない話ですが、飛行機に乗っている間は恐怖にうち震え、ひたすら神様に祈っています。私が洗礼を受けました教会の牧師先生からは、「キリスト教はご利益宗教ではない」と厳しくたたき込まれましたが、恐怖のどん底に突き落とされますと、そういうことも言ってはおれません。ひたすら「神様、私を助けて下さい」と祈り続けるのですが、昨日はどういうわけか、さっぱり飛行機が揺れませんでした。それで思ったのですが、台風などというものは―こう言うと被害に遭われた方には申し訳ないのですが―たかが知れたものですね。地面のあたりでは大きな顔をして威張っていますけれど、少し上に行ったら、もう何てことはない。私たちの人生を非常によく象徴していると思いました。下で大騒ぎしているものは勝手に騒がせておけばよい、その程度のことなのだ、と思ったのです。

今日のお話は「断罪と平和」という題ですが、実は、当初考えておりました題は「友よ・私を断罪せよ」というものでした。いかにも重々しいのですが、「友よ・私を断罪せよ」という、実は二つの題をくっつけたような題を聞いて「ははん」と思った方は、大体私と同世代で昔はよく歌を聞いていた、という方ではないかと思います。ご記憶がないでしょうか?「友よ」という歌と「私を断罪せよ」という歌が昔あったのです。どういう人が歌ったかと言いますと、岡林信康という人です。最もよく知られた歌は、多分「山谷ブルース」という歌で、東京に山谷という日雇いの仕事を求めて集まって来る人たちがいる町がありますが、そこで苦しい生活をしている人たちに対する深い共感をこめて歌った歌です。深い共感があり、息苦しくなるほどの罪意識が感じられるような歌で、私と年恰好が近いということもあり、学生の頃、この人がとても好きでした。

しばらくあとで、この人のお父さんは牧師さんなのだと聞きました。牧師さんの息子さんというのは、人生に悩むことが多いと聞いたことがありますが、この人も人生に悩みぬいて、自分はどう生きたらよいかということを模索したといいます。模索して結局、山谷の「ドヤ街」に入り込んで、音楽活動を始めたらしいのです。そして人生の苦しみの中で、自分は断罪されるべきだと考えたもののようです。自分よりも恵まれない人たちが本当に食うや食わずの生活を送っている。それを眺めているうちに、自分がいかに罪を負った者かということを若いなりに考えていった。そういう歌をいくつか作ったのですが、とても深刻な歌ですから、いつしかこの人は消えていきました。私が大学の頃ですから、多分1974〜5年頃だったと思うのです。

それから更に10年ほど経ちました。この人はもう姿を消した後でしたが、私が学生たちを引き連れて、北海道の田舎で卒論のための合宿をやったことがありました。その時に一緒に行った学生の一人に、私の助手をしてくれていた大学院生がいます。この助手がまた牧師さんの息子で、この人もまた人生に思い悩んで、何だかいろんなことを考えたりいろんなことをしたり、そういう人でした。音楽にも詳しかった。その助手が、北海道の本当に田舎の、そばを牛が歩いているような空港でしたが、そこで私の肘を突っつくのです。「先生、先生」とささやいて、「あの人分かりますか?」と指さすのです。ところが見てもよく分からない。ギターを一丁抱えた、おじさんと言いますか、お兄さんがいるだけです。それで「いや、分からない」と言ったら、「岡林信康ですよ」と言うのです。岡林信康は、自分を責める歌の遍歴を続けた後、表舞台からは引っ込み、地方で自分の本当にやりたい音楽を伝える活動を始めていたとのことでした。東京で歌っている頃の岡林信康は、本当に思いつめたような、つらそうな顔をしていましたけれど、北海道の牛のそばで見た岡林信康は、何かを突き抜けたような明るい顔をしていました。ああ、あの人はこういうふうに幸せになったのかな、とそのとき思ったものです。

何やら話があちこち飛んでいるようですが、ちゃんとまとまりますのでご安心下さい。その岡林信康が作ったもう一つの有名な歌に、「友よ」というのがあるのです。これは私ども、ちょうど1970年代ぐらいに大学に入った者たちが集まると、よく一緒になって歌った歌です。こちらのほうは本当に明るい歌で、「友よ、この闇の向こうには輝く明日がある」という歌詞が唄われています。聴いているといささか恥ずかしくなるような明るさなのですが、それはそれでとても良いものでした。これは岡林信康のもう一つの面だったと思うのです。「この喜びを分かち合おう」と彼は言います。「今は闇だけれども、闇を突き抜ければ輝く明日があるのだ」と言って、若者にとってこれは大きな励ましでした。その岡林信康のことを、今度北海道に帰ってまた思い出していたのですが、今日のお話のタイトルが「友よ・私を断罪せよ」ではあまりにも重過ぎ、お暑い中を皆さんが暗い気持ちで帰らなければならなくなるのはいけないと考えて、もう少し国際問題にからめた「断罪と平和」にしたわけです。

大事なことは、いま・なぜ断罪に思いをはせるかです。私自身は、最近新聞やテレビでニュースを見る度に、しばしばその言葉を思い浮かべます。それはおそらく、いまの世界が断罪に満ち満ちた世界だからだろうと思うのです。断罪に満ち満ちた世界があり、それが闇をもたらしていて、いつ私たちはこの闇を抜けるのだろうかということを何度も考えさせられてしまう。そういうことがおそらく背景にあるのだろうと思います。

ご承知のとおり、おととしの9.11テロの後から、アメリカ政府の高官たち、特に大統領から「悪の枢軸」といった言葉が頻繁に聞かれるようになりました。申すまでもなく、これは世界を善と悪とに二分して、自らは善で自分の敵対者は全て悪だとする考え方です。そのように善悪に二分した上で、自分自身(つまりアメリカ)を《悪を断罪する者》に任命する。それがおととしの9月11日以降に起きたことです。「世界には悪がある。それを断罪し、滅ぼすのがアメリカの仕事だ」と言わんばかりの政策が始まってしまいました。断罪というのは処刑であり、国際政治の場合で言いますと戦争によって相手を滅ぼすということです。「悪」という言葉が国際政治の世界で使われる時は、たいていの場合、すでに極限まで行っています。つまり相手に対して何をしてもかまわない、戦争を起こしてもかまわない、ということになりがちなのです。

こうなりますと、だんだん話がおかしくなっていきます。どうおかしいかと言うと、こういう考え方をおし進めた場合には、「平和とは戦争だ」という、とても変な定義になってしまうのです。「平和とは悪を滅ぼすことだ。悪を滅ぼすためには戦争をしなければならない。そうすると戦争が必要だ。平和は戦争だ」という話に、いつの間にかなってしまうわけです。わが国の首相も、この詭弁に簡単に騙されているように思われてなりません。

平和の定義というのは、時代により異なるものでありますし、人によっても異なるものですが、仮に今日アメリカから流れて来るニュースだけを見て育った子どもは、平和と言われて何を考えるでしょうか? 思うに、「平和というのは、悪者が住んでいる国に数十万の軍隊を送って、ありとあらゆる最新兵器を使って滅ぼすことである。それが平和だ」という考え方をしてしまうのではないかという気がするのです。実際に電車の中で子どもの会話を聞いていても、そういう影響を受けている会話をしばしば耳にします。「だってフセイン悪いんだもんね」というような反応です。子どもと言っても小学生ぐらいの子どもだけではありません。大学生ぐらいにまでそういう反応が行き渡っているように思うのです。

それは当人たちだけの責任ではなく、そのように教え込んでいる大人たちの責任でもあるでしょう。「悪者がいる。悪者は殺さなければならない。それを殺せば世界は平和になるのだ」という極めて単純な論理です。たとえばフセイン大統領の2人の息子を含む4人の人間が一つの建物の中にいる。それを殺すために攻撃用ヘリまで使って6時間もの猛爆撃をその建物に加える。そのこと自体もぞっとするようなことですが、フセイン大統領の息子2人が殺された時に私が最も衝撃を受けたことの一つは、その後のニュースでした。「これでブッシュ大統領の人気が回復するものと思われます」とニュースは伝えたのです。4人の人間をあのようにテレビの前でなぶり殺しにし、それで人気が上がる政治というのはいったいどういうものなのだろう。そう考えずにはいられませんでした。平和を作っていると言い、悪漢を滅ぼしていると言う。それもテレビカメラの前で、劇場よろしく、ここまでしなければならないのかというぐらいの猛爆をして人殺しをし、それで平和を作っているということになり、人気まで上がってしまう―そこに何かおかしなものはないか、と思うのです。

こういうことを言いますと日本では、反米的な議論だ等々、相当な非難を浴びます。そういう実態を皆さんご存知かどうか分かりませんが、日本という国ではもう10年ぐらい前から、アメリカの政策に対する批判は非常にしにくくなっているのです。アメリカについてこういうところがおかしいと言うと、あいつは反米だと言って「思想犯」のような扱いをされることがしばしばあります。そういう理不尽な非難をされても聞き流すしかないでのですが、私はそういう意味での「反米主義者」ではありません。何が何でもアメリカに反対、という人間ではないのですが、少なくとも今のアメリカの政権とその政策は驕り高ぶっていると思います。法的に見ても政治的に見ても、驕り高ぶっている。なぜここまで驕ってしまうのだろう? どうしてここまで舞い上がってしまうのだろう? という思いを持ちながら見ています。

とりわけ私どもにとって困惑させられる点は、アメリカのブッシュ政権が「自分たちはキリスト教信仰に基づいてこの戦いを行っている」と言い、また事情を知らない人は本当にそうだと信じてしまうらしいことです。この点が私たちを困惑させるのです。クリスチャンでない方からは、「キリスト教はこういう宗教なのですか?」と、よく聞かれるようになりました。あるいは、「こんなひどい宗教なのですね」という言い方をされることもあります。そう言われますと、こちらも困ってしまうのですが、実際にブッシュ大統領本人はそういうものだと思ってやっている節があるわけです。9.11テロの直後でしたが、「テロとの戦いは私たちの十字軍である」という言葉を発して、物議をかもしたことがあります。あの方は歴史の知識があまり豊かではない様子で、こういう言葉使いをしたら、イスラム教徒に対していかに無神経なことであるか、およそ考えていないようなのです。それは宗教的な無神経さというほかありません。今回のイラクに対する武力攻撃の始まる前にも、「サダムの報いの日は近い」という言葉を使って、これまた中途半端に宗教的な言葉使いをもてあそんでいました。ですから、キリスト教がそういうことを教えているからキリスト教国であるアメリカはそういうことをやっているのだ、と普通の人が思っても不思議はないところがあるのです。

ですが、もう少しキリスト教について真面目に考えている人間ならば、ちょっと違うのではないか、ちょっとどころか大分違うのではないか、と思っている人のほうが多いのではないでしょうか。とはいえ、アメリカだけについて見ますと、キリスト教はこれほどまでに凶暴な宗教であったのだろうか、と愕然とすることがしばしばあるのは事実です。そして、そもそも「これほどまでに凶暴な宗教であったのか?」と聞かれますと、答えはある程度まで「イエス」であります。少なくともアメリカの一部ではそうであり、少なくとも12年前の湾岸戦争の頃から、ある種のキリスト教はこれほどまでに凶暴な宗教になってしまった、ということを考えざるを得ないのです。

12年前の湾岸戦争の時に私も初めて知った実態で、非常にショックを受けたことが一つあります。アメリカの大きな教会で牧師さんが天に向かって自分の体を銃のような形にし、会衆一同にも同じようにさせ、全員で「サダムを殺せ」と絶叫するのです。非常に影響力の強い教会だということでした。牧師さんと会衆一同が天に向かって「サダムを殺せ」と絶叫する。それが祈りの一環であるということに、私は暗澹たる気持ちになりました。 

もちろんこれは、アメリカの中でもいわゆる原理主義の人たちの極端な行動ではあるのですが、それがアメリカの政治を支配することもいつかあり得るだろうと思ったのです。そしていま、その恐れが現実にも支配的になっています。これはやはり怖いことですが、そういう凶暴な一面がアメリカのキリスト教の中に現れてしまったのです。

しかし、キリスト教はそういう凶暴な宗教では本当はあり得ないのではないでしょうか。アメリカの原理主義者たちは全然違う考えを持っているかもしれませんが、私はキリスト教がそういう凶暴な宗教であるとは思いませんし、認めたくもない。たとえばエフェソの信徒への手紙4章1〜3節にこういうふうに書いてあります。「さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ平和であり、寛容を示し、愛をもって互いに忍びあい、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい」(口語訳)とあります。私にとってはやはり、天を指さして「サダムを殺せ」と言うのがキリスト教なのではなく、「柔和で、寛容で、謙虚で、忍びあい、平和のきずなで結ばれあう」ほうがキリスト教なのです。それは自らを無限の正義となし、どれほど凶暴になっても許されるという考え方とは、正反対です。どちらか一方がキリスト教であるならば、他方はキリスト教ではない、とさえ私は思います。万が一、天を指さして「サダムを殺せ」と大合唱するのがキリスト教であるならば、それはゆがんだキリスト教だというほかありません。そこにあるのは「勝とうとするキリスト者」、あるいは「勝ち誇るキリスト者」で、私にとっては大きな矛盾だという気がするのです。「へりくだりなさい」ということをずっと教えられて来た者としては、「勝とうとし、勝ち誇ろうとするキリスト者」というのは本当にあるのだろうか、と思うわけです。

さて、今日のお話は信仰の本質について知ったかぶりをするのが目的ではありません。私はこれ以上のことは分かりませんので、それ以上のことは申しませんが、もう少し分かっていることについてお話をしますと、こういう驕りとか高ぶり、あるいは一人よがりの正義等々が平和を生むことはない、というお話を今日はしたいのです。

そういう話をしますと、思い起こすことが一つあります。それは冷戦が終わった頃の世界の動きです。1989年から90年にかけて、世界で何が起こっていたか? まずは冷戦が終わったのですから、半世紀近くも世界を覆っていた黒い雲が晴れたような、とても大きな解放感がありました。その冷戦の終わりについて、「あれほど皆に重苦しい思いと恐怖感を与えていた冷戦が終わった理由は何か?」と聞かれますと、私は「謝罪だった」としばしば答えます。もちろんこれは単純化した言い方で、冷戦が終わったのには様々な理由があったことは百も承知しています。共産主義陣営の経済状態が悪くなったとか、両陣営が軍拡競争に疲れてしまったとか、東西の国境を越えた民主化運動があったとか、いろいろな原因があるのです。にも拘わらず、あえて単純化して冷戦が終わる過程を始めた大きな要素を考えてみると謝罪というものがあったという気がしてならないのです。

その謝罪はどこから始まったか。

1985年に当時の西ドイツのヴァイツゼッカー大統領が、敗戦40周年を記念して議会で有名な演説をおこないました。岩波ブックレットに『荒れ野の40年』という題でまとめられ、評判になったものですが、あの中で示された和解と謝罪の精神が、おそらくヨーロッパの政治情勢を変える大きな出発点になったのではないか、と思うのです。もちろんヴァイツゼッカー大統領は、「われわれ西側の人間が悪かった、東側の人間にお詫びします」という話をしたのではありません。40年前にドイツの犠牲になったユダヤ人を始め、さまざまな人たちに対する心からの謝罪をしたのです。「東でも西でも、まだナチスの遺産が消えてなくなっていない。そのことについて自分は心から詫びる」ということをあの演説で伝えたわけです。ところが、それが東側の国々に対して与えた影響も計り知れなく大きかった。「ドイツはかつてあんなひどいことをしたけれども、このように心から詫びる人もいる。ナチスに殺されたユダヤ人たち、共産主義者たち、同性愛の人たち、こういう人たちに心からの詫びをする。こういう国があるのなら西側ともうまくやっていけそうだな」と思わせたのです。

ちょうどその頃、私はヨーロッパに住んでおりましたので、現地の様子がかなりよく分かりました。1987年から1988年にかけてでしたが、その時に、もうすぐベルリンの壁は壊されると思ったのです。矢も楯もたまらず夜行列車に飛び乗り、壁を隅々まで見てきました。東西の無意味な対立にヨーロッパの人々は嫌気がさしているということが、現地に住んでいると割合よく分かるものなのです。その頃、友人たちには、「そのうちベルリンの壁は壊されるだろう」と言っていました。「10年以内には壊されると思う」と言ったのです。本当はもう少し早く壊されると思ったのですが、予言がはずれるとみっともないので、控えめに大体10年ぐらいと言いました。ところが何と、それからわずか2年少々で壊されてしまいました。「ベルリンの壁が壊されるということを予言していた人は一人もいなかった」とよく言われますが、それは違いますね。つまらない自慢話ですが、私は1987年には予言していましたので、どうぞ皆さん覚えておいて下さい。

作家をしている友人にあとでその話をしましたら、「バカだねえ。そういう時には3年ぐらいと言っておくと、これは予言者だということになって、そのあと大変実入りがよくなるんだ」と言われました。ただ彼は、「自分の友達で一人予言をしていた人間がいた」ということを自分の本に書いてくれています。よく売れた本でしたから、実入りがよくなったのは私ではなく彼のほうでした。

話を元に戻しますと、1985年のヴァイツゼッカー演説の頃から冷戦終焉の過程が始まった。それでとりわけ有名になった謝罪が、1990年の4月に東ドイツの人民議会(国会)が、「私たちは世界のユダヤ人に許しを乞う」という最大級の表現を使って詫びました。「許しを乞う」という表現がどれほど強いものであるかは、キリスト教的背景を持つ人間にとっては割合実感しやすいであろうと思います。さらに、ソ連のポーランドに対する謝罪も、それに続きました。ソ連が第二次大戦の末期、ポーランドの兵隊たちを虐殺するという事件があり、“カチンの森事件”と呼ばれています。その事件についてソ連は、戦後一貫して知らぬ存ぜぬを通してきたのですが、本当は自分たちの仕業だったと認めて謝罪をしました。そういうことがいくつも続いたわけです。雪崩を打って謝罪が続き、冷戦があっという間に終わってしまいました。こういうヨーロッパと違い、アジアでなかなか冷戦が終わらなかった(まだ完全には終わっていない)のは、ヨーロッパのような歴史的謝罪がきちんとなされなかったからであるように思われます。

冷戦が終わったということを、私は勝ち負けの問題ではなく、和解の問題だったと理解しています。冷戦が終わった時、誰が勝ったとか負けたとかいうことが、随分言われました。アメリカが勝ったとか、いや資本主義が勝ったとか、イギリスのサッチャー首相(当時)のように「私たちの核の脅しが勝った」などと言う人までおりました。「でも本当によくよく見てみたら、勝ったのは日本とドイツだけだった」という言葉もありました。経済的に勝ち残ったのは日本とドイツだという意味です。もっとも、たしかにその時には勝ったのかもしれませんが、その日本も今や、冷戦の勝利の影も持ち合わせていません。この世のはかなさを非常によく思い起こさせてくれるのです。ただ、誰が勝ったかということは、私にとってはどうでも良いことで、やはりそれは勝利ではなくて和解だった。一つの詫びをきっかけに、次々と現れてきた詫び、謝罪から始まった大きな和解でした。そして、和解である以上、謝罪というきっかけが必要だったのです。

そこが大事な点で、謝罪をすることによって相手の心の武装解除をするということが、この時に起きていたと思うのです。「自分たちが悪かった。許してほしい」と言うことによって、相手はこちらに対する警戒心を解きます。「50年も悪い奴だと思ってきたけれども、ああやって心底涙を流して詫びているのだから、何とか信じていけそうだな」という、国際政治では非常に珍しいことが始まったということなのです。この時に私は、歴史の過程に宗教を軽率に当てはめてはいけないかもしれませんが、この冷戦の終わり方、つまり謝罪から和解へという冷戦の終わり方を見ていて、キリスト教の本質が現れた、と感じていました。これはキリスト者以外の人にとっては勝手な言い草に聞こえるかもしれませんが、キリスト者にとってはそういうものに見えてくるという事柄だったわけです。なぜそうなのか。

もう一度エフェソの信徒への手紙の2章から引用いたします。2章の14〜16節を適当にはしょりながら引用しますが、ここも私がとても好きな箇所の一つです。そこには大体こんなふうに書かれています。「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって戒めの律法を廃棄した。わたしたちを神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのだ」。敵意を十字架にかけて滅ぼすことそれが平和にとって何より大切な隅石だというのです。ただ、大切な隅石ではあっても、なかなかそういうことは出来るものではないということも、私たちは日常の生活の中で実感しています。ところが、なかなかできるはずはないと思っていたことが、1990年前後の世界で実際に起きたわけです。そこで考えておきたい大事なことは、正義の名のもとに人を断罪するというやり方からはこういう結果は生まれない、ということです。つまり、謝罪は平和を生むが、断罪は戦争を生む、ということです。それが10数年前と今との大きな違いです。ただ、10数年前に起きていたその大事な転換も、ほどなく断ち切られました。つまり、12年前の湾岸戦争によって再び断罪への逆流が強まったことです。そして、今回の戦争でもう一度断ち切られようとしているのかもしれない。それがいまの世界の憂うべき状態なわけです。

今年の戦争に話を移しますと、アメリカが唯一の超大国になったあとの戦争ということで、“帝国の戦争”などという言い方もされました。いまや世界で並ぶもののない超大国アメリカは“帝国”と呼ぶほかない、したがってそれがおこなう戦争も“帝国の戦争”ということになる、というものです。実際、そう呼んでもおかしくない戦争であったと思います。先ほども申しましたが、宗教的な高ぶり、ほとんど錯覚にも似た高ぶりが、あの国を支配していました。そして軍事的な驕りです。いま、どの国であれ単独でアメリカと戦争ができる国はない。互角に戦える国など一つもないわけです。イラクなどは全く話にならない。大人が赤子の手をひねるくらいの差があったのですから、軍事的な驕りで始められた戦争だったという印象がぬぐい消せないのです。

それともう一つ、いまのアメリカの政権を特徴づけるのは、世界に対する無知です。世界の人々が何を求めて何を支持するか、ということに対する配慮も知識もほとんどない。あまり他所の国の大統領をからかってはいけないのですが、いまの大統領の世界情勢に対する知識は非常に限られたものであるようです。たとえば、彼がブラジル政府の要人に「ところでブラジルには黒人もいるんですか?」と聞いたという有名な話があります。ブラジルという国は有色の先住民がたくさんいて、かなり上手く有色人種と白色人種が融合しているところです。そういうことは歴史と人文地理の初歩を知っている人間であれば、考えるまでもない話なのです。しかし、こともあろうにそういう国について、「黒人はいるんですか?」と聞いたという、笑うに笑えない話です。そのような世界に対する無知が、いまの政権の単純な政策決定の背後にはあるのです。

それと、法の支配というものも全く無視しようとする傾向が著しい。法の支配とは、要するに力の支配に代わるものです。いささか乱暴な言い換えをしますなら、暴力を使わないで社会を運営するということがその要点です。罪を犯した人に対して、やりたい放題仕返しをすることを許すのではなく、法によって裁いてもらう。そういうことです。ところが最近のアメリカはこういう法の支配を無視し、「国連決議が必要だ」と言われても、「そんなもの、まあいいじゃないか」とさえ言ってしまう。「本当は大量破壊兵器がないのなら、あなたたちの武力行使は違法になってしまうのですよ」と言われても、「まあ別にいいじゃないか」という話にしてしまう。「大量破壊兵器があろうとなかろうと、フセインがいなくなった以上、もう使われることはないのだから大したことではない」という全く理屈にならない理屈を通してしまう。こういう法の支配の無視がおこなわれて、その意味ではまさに“帝国の戦争”が起きてしまったことになります。

この戦争は、私のような人間にとっては、もう一つ困惑の種を蒔いてくれました。何かと言いますと、この戦争はイラクの人々を圧政から解放するためのものだ、という理屈が使われたことです。「大量破壊兵器を見つけ出し、それを壊す」ということが本来の目的だったはずですが、それが見つかりそうにもない。そのままでは話が通らなくなると思ったのか、途中からイラクの人々を圧政から解放するのだ、という話に変わってきました。そうしますと、これはいわゆる“人道的介入”と呼ばれるものになるわけです。そういうタイトルの本を書いた人間にとって、そういう使い方をされますと、甚だ迷惑なのです。実際にマスコミなどからは、アメリカが「人道的介入であるような戦争」をやっていることに対する感想などをしばしば求められます。しかし感想と言われても答えようがありません。私が理解する“人道的介入”は今回の戦争のような事態ではなく、「人が何万、何十万となぶり殺しにされていて助けなければならない。助けるためにはひょっとしたら武力の行使も必要かもしれない。武力の行使はしてはいけないことになっているのだから、どういう場合なら許されるのだろう?」という点を、とことん悩みぬくのが私の本のテーマなのです。それが「大量破壊兵器はなさそうだから、あの人たちを助けることにしよう」という言い訳のために“人道的介入”という言葉を使われますと、私のほうは感想も何もないのです。「勘違いです」とでも言うほかありません。

“人道的介入”というのは、本来、(1)武力行使について国連憲章が厳しい縛りをかけている、(2)にも拘わらずたくさんの人がなぶり殺しにされていたら国連憲章の縛りを解いて助けなければいけない場合もあるかもしれない、という話なのです。そして、そうして「武力行使やむなし」となった場合でも国連憲章のルールに従い、安保理の決議をしっかりとった上でやる、ということが最低限のルールだと言われ始めています。それさえもやっていない時には、つまり「安保理決議などなくてもよい」と言った時点で、“人道的介入”としては既にアウトなのです。とはいえ、アウトと言おうが何と言おうが、誰も戦争を止めることが出来なかったのは事実です。あのような戦争をやることの法的な根拠は乏しい。それに加えて大量破壊兵器がまだ見つかっていないわけですから、事実的な根拠も本当にあったかどうか疑わしい。そういうあやしい戦争であったにも拘わらず、「ひとたび“帝国”が戦争をやりたいと言えば、戦争が始められるだけのことだ」という結果になってしまいました。だからこそ、われわれの失望は大きいわけです。

あえてそれについて暗い表現を使いますならば、これはやはり「闇の勝利」であった、と言うことができるだろうと思います。闇という言葉を使いましたのは、単なる言葉のあやではなく、リチャード・パールという、レーガン政権の国防次官補をやり、いまのブッシュ政権でも陰でずっとネオコンのグループのリーダーとして働いてきた人からの連想でそう言うのです。このパールという人は “闇の王子”と呼ばれていると言います。顔を見ると、とても王子さまという感じではなくて、いかにも闇の世界をずっと通ってきた人だということが一目で分かる顔つきの人なのですが、どういうわけか“闇の王子”と呼ばれている。要するに、この“闇の王子”を頂点とするアメリカ国内のグループの勝利だった、と言えるのです。それを変えなければならない。事態は本当に悪いところまで来てしまったけれども、それを逆転させて、闇を取り除き、光を取り戻さなければならない、と思うのです。

去る6日の広島平和宣言には、力の支配は闇であり、それに変わる光は法の支配だという訴えがありました。まさにこれが、いま私たちの考えていることだと思うのです。当座は闇の勝利が目の前にあります。しかし、闇がそこまでの深みに達しているのであれば、先ほどの岡林信康の歌ではありませんが、やはり光を求め続けるほかないでしょう。その光は何かと言えば、法の支配だと広島平和宣言は言うのです。私もそう思います。やせ我慢でそう言うのではなく、やはりそれが真理だと思うからそう言うのです。

こういう場合に最もいけないのは、現実の無批判な追認です。つまり、「闇の帝王のような国がやったのだから仕方がない。闇の帝王のような国がやったのだから正しいことにしてしまおう」という態度で、(誤って)現実主義などと呼ばれることの多い現実追従です。言ってみれば「長いものには巻かれろ」であり、「黒い闇には完全に包まれてしまうほうが安心だ」という態度決定です。たまたま日本のいまの政権が選んだのはそういう態度でしたが、決してそれが普通の国の反応であるわけでもない。むしろそれは国際社会の中では少数であるように思います。

今回のイラクに対する派兵の問題についても、ご存知のとおり、インドやパキスタンなどは「この戦争の根拠が不十分だ」として派兵を断りました。この、「戦争の根拠が不十分だ」という理由が大事なのです。つまり日本のように、「兵隊は送りたい。何としても軍隊は送りたいが、危険なところに人は送らない」と言うのでは本末転倒なのです。「危険だけれども、私たちは平和のために活動する」ということが大前提です。にも拘わらず、「こういう戦争は法的根拠も事実的根拠もないのだから協力できない」と言えるかどうか、そういうことがその国の力量を試すのです。インドもパキスタンも核兵器を持ったり、核実験をやったり、お互いの緊張関係を保ったりして、これまた感心できないところもたくさんある国です。そういうところを褒める気は全くないのですが、今回の派兵拒否は理由が実に立派だったと思います。まったく変な理由で派兵をしたがっている日本とは180度違う態度決定だったのです。その意味では、まだ法の支配を求める力が国際社会の中では働いていると見てもよい。

同様のことが、今月の1日、安保理でまた一つありました。安保理が内戦の続くアフリカのリベリアに多国籍軍を派遣する決議をしたのですが、それにフランスなど三つの国が棄権をしているのです。フランスが反対票を投じますといわゆる拒否権の行使になり、決議が成り立たなくなりますので、そこまではやらなかったのですが、これは賛成できないということで棄権をしたのです。決議は成立しましたが、全会一致は得られませんでした。ことの次第はこういうことです。つまり、リベリアに多国籍軍を派遣する時に、ある程度はアメリカ軍を加えなければならない。しかしアメリカという国は、数年来、去年できたばかりの国際刑事裁判所という裁判所で自国の兵士が裁かれるのはいやだと言って、ずっと抵抗しています。国際刑事裁判所というのは簡単に解説しますと、戦場で人道に対する罪とか、戦争法違反とか、そういうことをやった場合に、個々の兵士がその国際裁判所で裁かれる、という機関です。例えばクラスター爆弾を使ったような場合、裁かれる可能性が強いと言ってよいでしょう。あるいは捕虜を虐待したとか、女性に対して暴行を働いたとか、そういうものは全てこの裁判所で裁かれることになります。それに対してアメリカは、「わが国だけは例外にすべし、アメリカの兵士だけはここでは裁かないことにすべし」と言って、ずっと粘っているわけです。

粘って、ある程度は成功しました。多国籍軍の場合にはまだ問題が残りますが、国連の平和維持軍の場合には、アメリカ兵も含めてそこに参加している兵士を簡単には訴追できないことになったのです。残る多国籍軍についてもアメリカは、「米国兵士だけは何をしても裁かないことにしてほしい」という要求をし続けています。それをフランスなどが批判した。「そういう条件をつけるのであれば、リベリアに兵隊を送るという決議にも賛成はできない」と言って抵抗したのです。

フランスという国も、核実験等で批判を浴びるといった前歴のある国ですから、100%褒めることばかりではないのですが、こういうところで筋を通しているフランスのあり方は、肯定できると思います。法の支配をこんなに簡単に破らないでほしい、と主張する点においてです。今回の戦争の前もそうでした。「戦争を始めるならば、そのための根拠をしっかり示せ。事実はどうなのか。査察の結果はどうなのか。法的な根拠はどうなのか。何も証拠を出していないではないか」等々と、フランスはあれだけ頑張ったのです。こういう点に関する限り、フランスの頑張りは肯定してよい。

 そろそろおしまいにしますが、以上お話ししてきたことと国連はどう関わるかに触れたいと思います。言えることは、以上のように法の支配の確立のために国連が使われる場合も少なくないなら、やはり国連という場を見捨てずに、これを活用することが必要だ、ということです。国連という場が戦争を防止できる組織に高められるよう、力をつけさせ、育てていくということが、今とりわけ重要なのではないでしょうか。面白いことに今回の戦争が始まる前に「国連の決議などなくてよい」というようなことを言っていた人たちが、戦争が終わったとたんに「国連など役に立たない」と言い出しました。日本でもそうですが、これは明らかにおかしい。「国連なんか尊重しなくてよい」と言っていた人たちが、国連を無視して戦争を始め、その結果、「ほら、やっぱり国連など役に立たないでしょう?」と言うのですから、どう考えても詭弁でしかありません。それに対しては、「あなたたちが国連を大事にしていれば、こんなことにならなかったでしょう?」とでも反駁するほかないのではないでしょうか。世界を建て直すためには、こういう詭弁に惑わされずに、いまの弱い国連をもっと強くすることが必要だと思うのです。

とはいえ、「現在の事態に全く落胆していないか?」と聞かれて「落胆していない」と言えばウソになります。しかし、いくつかの点で落胆もしてはいますが、同時に希望も失わずにいるのです。一つには、今回のアメリカやイギリスなどがおこなった粗暴な振る舞いが、そういつまでも出来るわけではない、ということがあります。1ヶ月の戦費が30億ドルもかかっているというような状態になり、あれほど赤字を抱えている国がそんなことを何ヶ月も何年も続けられるわけがない。加えて、国際社会もいつまでもそれでよいと言ってくれるわけでもない。お金の面で続かないということ以上に、正当性もだんだん疑われ出すと思うのです。

更にまた、落胆していたくない、ということもあります。アメリカなりイギリスなり、少数の国のやっていることに落胆しきっているのもおかしな話で、世界には他に希望の要素もあるのではないかという気もするのです。

私の好きな映画監督に、テオ・アンゲロプロスという、とても優秀なギリシャの映画監督がいます。「旅芸人の記録」という長い映画がとりわけ有名ですが、いくつも傑作があり、私がとりわけ好きなのは「こうのとり、たちずさんで」という、ちょっと変な日本語のタイトルがついた作品です。このアンゲロプロスが、ある場所でとても良いことを言っています。「夢を見なくなった社会は病気だ」と言うのです。人間だけではなく、全体として夢を見なくなった社会も病気だ、というのです。「夢」というのは「希望」と言い換えてもよいと思います。つまり希望を持たなくなった社会は、これは気の毒な社会であるだけではなくて病気なのだ、力を失っている病気の状態なのだ、と言っているのです。実際この人の作品は、夢にあふれた「千と千尋の神隠し」のような映画とは明らかにタイプが違うのですが、希望を失わない、夢を見続けようとする人間たちを描いた映画が多い。夢や希望を失わない登場人物を見つめているうちに観客も生への希望をかき立てられる、という仕掛けになっています。

そのように希望を再生しようとするアンゲロプロスが、私は好きです。同時に私は時々、希望を失わないことはキリスト者の何より大きな使命なのではないか、と考えます。私が学者として、あるいは国際法の専門家としてものを言う時には、そういう直接的な言葉使いはしないのですが、キリスト者である国際法学者として希望を失わないで仕事をしようとしているのは確かです。その時に私は、希望を失わないことが自分の使命だと考えていて、それが自分を支えているような気がします。たいそうなことを言っていますが、別に自分が偉いなどということではなく、自分が一人のキリスト者であるということは、「主の来臨を待ち望もう、へりくだった者となることを選んで、耐え忍んで走り抜こう」と決めたということであり、そうであるなら希望を保つことが大事な使命ではないか、と思うからなのです。耐えることは大変ですが、そう信ずる人間たちがいる限り、事態はいつか改善する可能性を持っていると思います。

1ヶ月半ほど前、学生たちを研修旅行で連れて沖縄に行ってまいりました。沖縄に行くたびに、平和のためのさまざまな活動をしている人たち―だんだん老齢化しておじいちゃん、おばあちゃんが多くなりつつあるのですが―にたくさん会います。その人たちに会うたびに、本当に深い感動を覚えます。それは、中国の支配に始まり、薩摩の支配、それから日本の支配と、数百年にわたって異民族の支配を受け続け、何度も処分され、という環境に置かれ続けているのですが、沖縄の人たちは数百年もの間、暴力で抵抗したことがないのです。これはすごいなと思います。それ以上にすごいなと思いますのは、数百年間暴力で抵抗をせずにきて、なおかつ全く諦めていない、ということなのです。「これが終わりではない。自分たちが耐え忍んでいれば、いつかはもっと良い時が来る」ということを心底信じて耐えている人が多いように思われます。沖縄の人たちから、あの人たちの辛い状況を聞かされるそのつど、私たちは何度大きな笑いに包まれることでしょうか。沖縄の人たちが自分たちを茶化すからではなく、不屈の精神をユーモアで包み込んでしまう余裕を保っているからなのです。

沖縄に行くたびに私は、沖縄の人たちが諦めていないということに大きな感動を受けます。そういう意味では、いまのこの闇の時代には、世界中が沖縄であることを求められているのだと言えるのかもしれません。私たちは、「むこうが核兵器でやるなら、こちらも核兵器でやり返してやる」と言うことはできません。反対に、「核兵器も暴力もいけないのだ」と言い続け、それとは違う行動様式を示して、なおかつ諦めないこと―それがいまの世界にとりわけ必要なのではないかと思うのです。

時間が来たようですので、あまり取りとめがなくならないうちに、このあたりで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 

★最上敏樹氏のプロフィール

1950年 北海道生まれ

1980年 東京大学大学院法学部政治学研究科博士課程終了

現  在―国際基督教大学教授、同大学ロータリー平和センター所長

専  攻―国際法、国際機構論

★最上敏樹氏の著書

『ユネスコの危機と世界秩序―非暴力革命としての国際機構―』:東研出版

『国連システムを超えて』:岩波書店

『国際機構論』:東京大学出版会

『人道的介入―正義の武力行使はあるか―』:岩波新書

               2003年9月7日発行

発行編集: 横浜港南台教会 社会委員会 

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