説教「罪と赦し」 創世記4:1−16  秋吉隆雄牧師 (2005.10.30)

 最初の人・アダムとエバは禁じられた「善悪の知識の木」の実を取って食べる罪を犯したためエデンの園から追放された。このアダムとエバにアベルとカインの兄弟が与えられた。兄カインは農耕者となり、弟アベルは牧羊者になった。カインは土の実りを神に献げ、アベルは羊を献げた。神はアベルの献げ物に目を留め,カインの献げ物に目を留められなかった。なぜ、カインの献げ物が顧みられなかったのか。土地に定着する農耕はピラミット型の「支配と服従」関係の文化であるのに対し、牧羊は旅をするため「共生」の文化で、アベルが顧みられたという説もある。新約聖書のヘブライ書は直裁に「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました」とある。確かに、アベルは「羊の群れの中から肥えた初子を持ってきた」と記している。

 目を留められなかったカインは怒り、顔を伏せた。このカインに神は、お前が正しいのなら顔を上げよ、正しくないのなら、お前を求める罪を支配せよと諭す。悔い改めの時を与えたが、心を頑なにしたカインはアベルを野原に誘い、殺害する。殺害を知る神は「弟アベルは、どこにいるのか」となお、悔い改めの猶予を与える。しかし、カインは「知りません。わたしは弟の番人でしょうか」と自分の罪を否認する。

 二度もの猶予を拒んだカインに神は、弟の流した血が土の中から叫んでいる、土を耕しても作物を生み出さない、お前は地上をさすらう者となると断罪する。カインは「わたしの罪は重すぎて負いきれません」と認識し、地上をさまよう私は殺されるでしょうと神の裁きに震えおののく。ところが、神は「カインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう」と神の守りを約束し、その「しるし」をつけられた。カインの罪に対する神の赦しが宣言される。

 この物語は、獲物を襲う獣のように、自分では制しきれない罪があることを知って苦しむ「うめき」が叫ばれている。そのうめきに対し、神は赦して「生きよ」という祝福の道を用意してくださる。旧約聖書は、人間の罪と神の赦しが打ち寄せる波のように繰り返し語られている。

 新約聖書は、主イエスの十字架によって罪の赦しという「絶対的な是認」を宣言している。私たちは神を信じ、隣人と愛し合って生きたいと願いつつも、それに破れている罪を知らされて苦しんでいるが、その罪を赦し、生きよと祝福されている。罪を犯しつつも、赦しを信じるところに、神にある「私」を見出し、生きていく道が示されていく。私たちの求道は、この赦しを知ることであり、そこに確かな救いがある。

最終更新日 2006.01.15