c. 「新しい王の誕生」(横浜港南台教会誌『若木』1992.12.20から)

 クリスマスおめでとうございます。神の子イエス・キリストのご降誕の出来事を、マタイとルカが伝えています。このご降誕の出来事は歴史的事実ではなく、二人の創作と考えられます。創作ならばウソかと言うと、そうではなく、これから記すイエス・キリストの生涯をコンパクトに降誕物語にまとめ、序論としたのです。マタイは預言の成就としてのイエス・キリストを伝えています。ユダヤ人に対して福音を弁明しようとしたからです。しかし、そのマタイは、東の国の占星術の学者たちが「新しい王の誕生」を星に知らされ、拝みに来たと記しています。これは、イエス・キリストが世界の王であることの宣言です。マタイは、その新しい王をヘロデ王と対比させています。イエス・キリストとヘロデ王の対比が福音を明確にすると考えたからでしょう。ヘロデ王は「新しい王の誕生」を聞いて、自分の地位が脅かされることを恐れます。そして殺害を決意しますが、失敗した時、イエス・キリストが生まれたと聞いた地域一帯の男の子を全て虐殺します。ヘロデ王はもちろん実在の王ですが、地上の権力者の姿を見事に映し出しています。彼は王位が奪われることを恐れ、妻、我が子三人までも殺す狂気に走っています。力による支配と君臨、それがヘロデ王の原理です。それに対し、イエス・キリストは布にくるまれ飼い葉桶に寝かせられた小さく弱い誕生です。マタイはこの小さく弱い誕生に「新しい王の誕生」を伝えています。これはヘロデ王の力の原理とは全く違う原理の宣言です。マタイは、命を狙う力の原理ではない新しい原理が、この幼な子イエス・キリストに示されていると訴えたいのです。そしてその原理がイエス・キリストの生涯の意味であり、福音なのです。それは殺す側でなく、十字架で殺される側に立って人間を生かし支えていく愛と奉仕の原理です。

 マタイは、ヘロデ王の力による支配と君臨の原理とイエス・キリストの愛と奉仕の原理を鮮やかに対比させて、読者にその選択と追従を迫っています。クリスマスはこのことを心静かに思い巡らすことです。

 私たちは、もちろんへロデ王のように他人を殺害してはいません。しかし、彼とは無関係だとも言えません。心の深い所で力に頼り、大きいこと、強いこと、見栄えのすること、豊かなことを求め、質において彼と同じ道を歩いています。その道は決して命に与からず、不安と恐怖の中で、自分自身と隣人を巻き添えにして滅びに向かいます。二十一世紀を目前にした今日、尚更そのことが明らかにされています。幼子イエス・キリストのご降誕は、ヘロデ王の原理の根底的な否定の「徴」として示されています。神は、愛と奉仕の十字架に殉じたイエス・キリストを神の命へとよみがえらされ、真の王とされ、栄光を与えられました。私たちの信仰はこの方を主と仰ぎ、従うのです。

 力のみを至上の価値とし、暴走しているこの時代の中で、教会はイエス・キリストの示された命の道を知り、それを歩もうと志す群れです。神がそのように導いてくださることを信じる時、幼子イエス・キリストのご降誕を祝うクリスマスとなるでしょう。

(横浜港南台教会秋吉隆雄牧師記)

最終更新日 2013.06.09