b. 「主のご降誕に寄せて」(横浜港南台教会誌『若木』1989.12.24から)

 クリスマス、おめでとうございます。クリスマスは教会にとって何より嬉しい時です。代々の教会のクリスチャンたちはイエス・キリストのご降誕を祝い心暖まる多くのものを生み出しました。クリスマス・ツリーを始めとする美しい沢山の飾り、楽しいキャロル、そして優しさあふれる童話など、数限りありません。彼らは救い主イエス・キリストのご降誕を喜び、神への賛美をもってこれらを生み出したのです。しかし、その彼らの現実は大変厳しく、辛いものであったのではないかと想像します。飽き足りている者には夢は語れません。欠けの多い生活の中からイエス・キリストに望みをかけた信仰が心暖まる多くのものを生み出したのだと思います。これらは皆教会の宝です。

 聖書が記すイエス・キリストの降誕物語には深い陰があります。マタイ福音書は新しい王の出現を嫌ったヘロデ王がベツレヘムの二歳以下の男の子をことごとく虐殺したという癒し難い母たちの悲しみを伝えています。ルカ福音書はローマ皇帝による税制のための人口調査に翻弄され宿をなくした母マリヤはイエスを馬小屋で出産したと伝えています。人間の罪が底に黒々と流れています。それでいてイエス・キリストの降誕物語は私たちに素晴らしい夢を与えてくれます。彼らは暗黒の中で、イエス・キリストに神を見たのです。それを高らかに賛美したのです。

 私たちはどこに立ってイエス・キリストを迎えるのか。人間を蔑み利用したヘロデやローマ皇帝には神は見えないでしょう。つらい野宿をしていた羊飼いたちにあの天使の天地を揺るがす賛美が聞こえたのです。

 さて、私はクリスマスが巡り来るごとに受洗した時のことを思い出します。青春の嵐に見舞われ苦しみの中、求道しイエス・キリストに出会い、全く新しい生き方を示されました。そして受洗を決意しました。その時、いつも見慣れた何の変哲もない山々が異様に美しく目に映りました。後にある本で、人格的交わりが豊かで充実している時には全てが美しく見えると読んで、あの時イエス・キリストヘと思いが集中していたのではないかと、痛く納得しました。クリスマスはイエス・キリストヘと私たちの信仰を傾ける時です。その信仰は全てを美しく見、物事をいとおしみ、生きる喜びを与えてくれます。イエス・キリストのご降誕を「天に栄光、地に平和」と羊飼いたちと共に神を賛美して祝いたいと思います。

(横浜港南台教会秋吉隆雄牧師記)

最終更新日 2013.06.09