a. 「マリヤの賛歌」(横浜港南台教会誌『若木』1987.12.20から)

 クリスマスおめでとうございます。今年のクリスマスは「マリヤの賛歌」からメッセージを聞きたいと思います。私はマタイとルカがキリストご降誕の出来事を伝える中で、「マリヤの賛歌」に最も衝撃的なメッセージが込められていると思います。

 この「マリヤの賛歌」はルカ福音書の著者ルカが、サムエルの母ハンナがサムエルを宿した時、歌った「感謝の歌」をベースにしながら、神の子イエスのご降誕の意味と力をマリヤの口に託した歌であることは確かなことです。

 マリヤは、おとめでありながら神の子イエスを宿すという神の奇跡を受け入れた後、こう歌い出します。

 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます」。マリヤは、まず全身全霊をもって神を賛美します。信仰者が神の前に立った時、賛美が口をついて出てくるのは当然でしょう。しかし、マリヤの賛美は普通の賛美ではありません。

 「この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう。力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです」。マリヤは、どこにでもいるただの女性です。そのマリヤに神の子が宿され、天と地を結ぶ神のご用に用いられる。マリヤは、深い畏れの中で自分を通して人間に救いがもたらされる幸いを賛美しています。

 「そのみ名はきよく、そのあわれみは代々かぎりなく、主をかしこみ恐れる者に及びます」。この聖句が、ルカが私たちに伝える第一のメッセージです。クリスマスの意味は、私たちがマリヤと同じ信仰をもって、マリヤと同じ神の子イエスを宿すということです。

 私たちの日常生活は、砂を噛むように味気なく、更に神がおられるとはとても思えない不条理に満ちています。その私たちに、おとめが身ごもるような、有限な時間の中に永遠の神が関わる奇跡が起こったと告げています。マリヤと同じ信仰をもって受け入れる時、私たちの一挙一動は永遠と結びつけられ確かなものとされます。更に私たちを通して神のみ業が証しされていくのです。クリスマスのメッセージは、神が共におられることを信じたマリヤとの同質化への招きです。この同質化は偉大な変革をもたらします。それが次の革新的な聖句です。

 「主はみ腕をもって力をふるい心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます」。私はこの聖句に最も深いクリスマス・メッセージがあると思います。

 カール・マルクスは「宗教はアヘンである」と言いました。当時この言葉にはそれなりの理由があったでしょう。しかし、ルカは神の子イエスがお生まれになるということは、人間の常識、又世界がひっくり返るような革命的なことであると語っています。

 そして、それはルカがイエスの生涯から示された価値の転換にほかなりません。ここには三つのことが述べられています。

 第一は「心の思いの高ぶる者を追い散ら」す倫理的変革です。神の子でありながら自らを徹底的に低くしたイエスの聖さが、高慢な者を恥じ入らせるのです。キリスト教は、人と比べ合う高慢と卑屈の浮き沈みからの解放です。神の前では皆「ただ人」なのです。

 第二は「権力ある者を引きおろし、卑しい者を引き上げ」る社会的変革です。時代の価値を掌握した者が、権力をもって人を支配します。イエスは、神の律法による差別管理社会の中で、権力に安住する者の偽善性を徹底的に暴かれました。キリスト教は、権力による人間支配からの解放を告げ、又勝ち取るのです。

 第三は「飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさ」る経済的変革です。イエスは、五つのパンと二匹の魚で、飢えた五千人が共に分け合って満足しあう神の国を示されました。今日、富を得た者が勝者と見なされます。キリスト教は貧しい者が神に顧みられ、それを具体的に見える形での分かち合いを実践するのです。

 マリヤの賛歌の中心をなすこの倫理的、社会的、経済的変革の三つのメッセージは、個人を変えるだけでなく、世界に革命を呼び起こすような物凄い言葉です。ルカは、神の子イエスを受け入れるということは、この変革を受け入れ従うことであると宣言していることは明らかです。

 クリスマスの意味は、神が人になり、共にいてくださることを信じたマリヤとの同質化ですが、その内実は神による私と社会の変革です。クリスマスは、楽しく、華やぐ気分になります。それもクリスマスの恵みです。しかし、マリヤの賛歌で歌われている衝撃的なメッセージが中心で、それに招かれていることを忘れてはならないと思います。

 「主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました、わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを、とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。マリヤはアブラハムとその子たちに、救い主キリストを遣わすという約束が忘れられず今、成就したと神に賛美、感謝を捧げています。

 さて、「マリヤの賛歌」から学んだように私と社会の変革に繋る教会形成を目指して、神の子イエスをお迎えしましょう。

(横浜港南台教会秋吉隆雄牧師記)

最終更新日 2013.06.09