a. 「出会い」(横浜港南台教会誌『若木』1995.6.25から)
徴税人レビは誰からも相手にしてもらえませんでした。人々から税金を取り立て、それを支配国ローマに納める徴税人は売国奴だったからです。全くの孤独の中に捨て置かれたレビは心が死んでしまいました。イエス・キリストの素晴らしい言葉と力あるしるしに魅せられ、従う群衆が幾度か、収税所に座るレビの前を行き来しましたが、彼は何の興味も示さずただ座ったままでした。生きながらの死人になっていたのです。イエス・キリストは、そのレビを見て彼の一切を知りました。レビの前に立ち、たった一言「わたしに従いなさい」と声をかけました。「わたしに従いなさい」という一言が、レビの心に鳴り響きました。私を必要と認め、呼び出してくださっている。その時、レビは生きた人間に回復させられたのです。それからレビはイエス・キリストに生涯をかけて従っていきます。マタイ福音書はこのレビをマタイとしています。無学で字が書けなかった弟子たちの中で、徴税人マタイは字が書けた。そのマタイがイエス・キリストの語録を書き残したのではないかと想像されています。もしそうであるなら、「生きながらの死人」であった彼はイエス・キリストに出会い従い、後に福音書の原本にあたるようなものを書き残す意味ある仕事に用いられたことになります。イエス・キリストと出会った全てのクリスチャンは、人間に回復させられ人生に意味を見出すことにおいて、マタイと同じような恵みに与かっているのではないでしょうか。
私は高校生の頃、人並みに「青春の嵐」に襲われ生きる意味を求めて苦悶していました。お寺で持たれた仏教書の読書会と講話会に通い続けました。そのお寺の住職が仏教の教えに納得しない私に「教会」のことを話されました。町にある教会の存在は知っていましたが、もちろん行ったことはありません。いわば住職の勧めで初めて教会に行ったわけです。そして牧師に会いました。その日が、その牧師との出会いが私の人生を決定づけることになりました。牧師は、私がかってに想像していたひよわな神父像とは違い逞しく知性的でした。牧師はキリスト教を知りたければ聖書を読むようにと貸してくれ、私はむさぼるように読みました。そこには今まで聞いたことのない神の高さが記され、人間の悲惨がありました。そしてイエス・キリストの愛の凄じさに圧倒されました。このイエスを私の救い主と告白するまでには、そう長くはかかりませんでした。牧師は適切な読書指導をしてくださいました。私の人生を決めた出会いは、牧師を通して神、イエス・キリストを知ったことです。マタイのように用いられたいと願っています。
(横浜港南台教会秋吉隆雄牧師記)
最終更新日 2013.06.09