d. 「福音・喜びの音信」(横浜港南台教会誌「若木」1998.4.12から)

 教会は、イエス・キリストの言葉と業、十字架と復活、そして昇天に救いを見出し、これを「福音」と言ってきました。福音は「喜びの音信」を意味し、ギリシャ語では「ユアンゲリオン」と言います。ユアンゲリオンは元来、新皇帝即位の「おふれ」でした。新皇帝の即位が国民にとって喜びの音信であったかどうか分かりませんが、教会は、イエス・キリストによる救いをユアンゲリオン・福音と言って、教会の言葉に取り入れていったのです。

 私と福音との関わりは、もちろん受洗の時です。受洗記念の写真を見ると、クリクリ坊主の私は緊張しきっています。虚無から希望への転換でしたから、喜びの音信として受け取ったことに間違いないのですが、この信仰で生きていくというせっぱ詰まった思いが現われています。

 あの日から四十年になろうとしています。この間、喜んで生きてきたか。正直に言って、不信と挫折が多かったと言わざるを得ません。福音に与かりたいとひたすら走ってきたように思います。しかし、もし福音を知らずにいたら、私はこの世の価値のみを追求するか、あるいはふてくされた人生を送っていたことでしょう。不信と挫折を越えて、復活したイエス・キリストは私をとらえ、立て、生かしてくださった。そう信じています。イエス・キリストの福音にかけた信仰に対し、大らかに「よし」と言えます。この「よし」は現状肯定ではなく「よし」とされているから新しい私への希望となっています。

 今日、どこを向いても喜びや希望は見えません。大は指導的地位にある人々の目にあまる不正、小は子供たちの痛々しい荒廃。そして、経済的、身体的、年令的に苦しい立場にある人々の受ける苦難。時代の不安と恐れは加速していくとしか思えません。しかし、だからこそ福音が真に喜びの音信として響いてくる。復活したイエス・キリストは私たち教会をそのように導いてくださる。この信仰を生きることが、イースターを喜ぶ「復活信仰」ではないでしょうか。

(横浜港南台教会秋吉隆雄牧師記)

最終更新日 2018.10.21