c. 「イエスの死を体にまとう」(横浜港南台教会誌「若木」1995.4.9から)
「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。」
パウロは、ユダヤ教ファリサイ派の、将来を嘱望された有能な学徒でした。ファリサイ派の信仰にかけた熱心が、十字架で殺されたイエスを主キリストと信じることを許せないとクリスチャンに激しい迫害を加えていました。そのパウロがダマスコ途上、復活したイエス・キリストに出会い、彼の信仰は逆転させられました。復活したイエス・キリストとの出会いは死を突き抜けて生き給う神に圧倒されたということですが、パウロの記した手紙から、その内実は次のように理解されると思います。ファリサイ派の信仰は神の律法を守って義しい人間になり、神に至ろうとするものでした。この信仰は、律法を守れた時は誇り傲慢になり、守れなかった時は打ちしおれ卑屈になる。傲慢と卑屈の間で浮き沈みする平安のないものでした。そして、この信仰は、人間の力に根拠を置き、人との比べ合いの中で差別、選別を持ち込む人間主義そのものでした。パウロが復活したイエス・キリストに出会って知らされた福音は、この律法からの解放でした。守った、守らない、できた、できないという以前にイエス・キリストの十字架によって、パウロの存在そのものを「義」としてくださる神の圧倒的な恵みを知らされました。パウロにとって自分の力ではなく神の恵みに生かされている、律法からの解放は何ものにも替えられない素晴らしい救いでした。ですから、これ以後、パウロは気が狂ったように十字架による救いを述べ伝えました。そのパウロが行き着いた信仰は「イエスの死を体にまとう」という信仰でした。罪を赦し「義」としてくださったイエス・キリストの十字架の死につながる、隣人を愛して苦難を負うことを通して、あのイエス・キリストの復活の命がこの体に現れる。パウロは十字架と復活の福音を「イエスの死を体にまとう」と言い表わし、そのように生きたのです。十字架信仰はイエス・キリストの苦難と死につながることによって復活の命に与かる信仰です。
(横浜港南台教会秋吉隆雄牧師記)
最終更新日 2018.10.21