◇伝道師室より◇

私のように長い間社会の中で働き、伝道師になった者には、生きて側(そば)に居たもうイエス様と同時に「サタン」の働きが気になります。イエス様のうしろに「サタン」がいつもつきまとって、私たちを誘惑するのに気がつかされるのです。四十年に亘った会社生活をふりかえってみると、明らかに「サタン」の手がのびていたこと、そしてそれにも増してイエス様の強い戦いがあったことを思い、心に迫るものを感じるものです。今でもその「サタンの手」が夢にまで現われ、時々うなされるのはそのせいでありましょう。人ごとではない。私のそばに生きて働く主イエス様が「誘惑に陥らないように祈りなさい」とおっしゃるのです。悪魔は決して黒い背広を着て私たちのところにはやって来ないでしょう。池袋や新宿の裏通りのネオン街に居るとは限りません。真面目で正しい、そして最も常識家の装いでおでましになることもあるのです。そして「正しいこと」を主張することもあるのです。私たちは知らないうちにイエス様の戦いの旗手のように思いこんでしまう時がありますが、その時、聖書を読んで何が「サタンの手」か見わけることが大切です。

パウロは「悪魔の策略」に対抗するため「神の武具」で身を固めよと教えています。その基本となるものは次の通りです。

「救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」(エフェソ6:17〜18)

私たちをこの「サタンの誘惑」から守るために主イエス様が十字架上で戦っていて下さるのです。十字架の死と復活は、私たちにこの世での勝利を約束してくださっています。それを信じて希望をもってサタンと戦っていきたいと思います。私たちが戦いに負けるたびに、イエス様の掌に釘がもう一本、金槌で打ちこまれていることを思いながら。