牧師室より

気がつけば年度も後半に入った。前半はあたふたと目の前のことを為すうちに過ぎていき、こんなことでいいのかという思いもよぎる。しかし、流れ去る時間については、「月日は百代の過客にして」と、李白さんや芭蕉さんもつぶやいているので、呆然とするよりは、まあこんなものだと達観するほうがよいのかもしれないと思いなおす。それに、思い返してみれば、人様に誇るようなことはなくても、過ぎた半年に取り組んだことや出会って学んだこともいろいろあった。敬愛するドナルド・キーン著『百代の過客』は、膨大な過去の日記文学を読み解き、この国の人々の心のありようの形成を探っている。生活者の目線からの日々の積み重ねを追体験し、検証・分析・理解することの大切さを教えられる。

感染症がどうやったら沈静化するのか見えないし、戦争をしたがる勢力にどうやったら対抗できるのかも課題のままだし、温暖化の影響なのか自然災害も猛威をふるっている。この国の政治や経済の仕組みが普通の人々の手の届かないところで決まっていく疎外感も半端ない。けれども、自ら手の届く範囲のことを倦まず丁寧に為したいものだ。その中に聖書と祈りと賛美を含めておきたいとここに表明しておく。(中沢麻貴)