牧師室より

 前任教会で施設入居された教会員のもとで、聖書に親しむ会を月一回開催していたことがある。在宅時には家庭集会に会場提供してくださっていた方だった。施設側も、入居者が自由に集会参加できるよう談話コーナーのような場所を提供してくださった。高齢者施設の通路での辻説法のような愉快な体験。アーメン・ソーメンと冷やかしあり、実は戦前は教会に行っていたという昔話もあり。今は、個人情報尊重の時代となり、加えてコロナ禍で、家族以外が施設入居の方に面会することはほぼ不可に。入居者の私物管理の面から郵便物の送付も制限が多く難しい。

 ご自宅で生活しておられる方々も、印刷物をたくさん作ってみても、視力の問題で読むことが難しくなっておられたりもする。礼拝出席やYouTube配信なども、聴力の問題がおきてくれば聞き取ることは難しい。

 会えない・読まれない・聞こえない、と並べると伝道・牧会にも困難がたくさんとも見えるが、ここは腹をくくって、会える・見える・聞こえるが当たり前という前提を取り払う時がきているのかもしれない。

 イエス様は一瞬の出会いで人に生きる希望を与えられた。それを手本とするなら一瞬を大事にしなくては。加えて、様々な障がいを抱えて生きる友らの生き方から多くを学ばねばと、改めて思う。   (中沢麻貴)