牧師室より

 再チャレンジして活躍していた人を、将来の展望を失った人が銃で撃ち殺してしまった。銃を手にした人の心の内に、深い絶望を垣間見た気がして、暗澹たる気持ちに囚われる。

 少し前にTBS『報道特集』で見たミャンマーの民主化闘争で武器を取る決断をした若い女性のことを思い出す。軍事政権に反対する平和的な民主化デモに参加し、隣にいた女友達が、軍の放った一発の銃弾によって命を奪われる経験をした。そこから彼女は武器をとる闘争に参加することを決意する。「怖くありませんか」と日本から尋ねられ、「怖くないです。殺されるかもしれないけれど。だって、すべてが変わってしまったから」と、彼女は答えてほほ笑んだ。その目の奥にも、深い絶望を見た。

深い絶望は、高揚感からは遠い。静かに武器をとって命を奪う行動を実行する若者たちを産む私たちの世界は、どこに向かっているのだろう。

実は、仕事と子育てに忙しくしている若い知人の中に、安倍元首相が病気で一旦第一線を退いてから再チャレンジして再び政治家として活躍したことに、大いに励まされていたという人が数人いる。いずれも病気や育児や介護で離職せざるを得ず、その後職場復帰の苦労を味わった人だ。彼女らに、だけど、と言いかけて続ける言葉に迷う。深い絶望の淵にいる人の傍らに、私達の救い主は居てくださる。その姿をもっと見えるようにしなくては。 (中沢麻貴)