牧師室より

 コロナ禍のもと、分散礼拝を実施し、ひと月が経過した。日本語で「教会」と訳されたギリシャ語「エクレシア」の語源は、(神に呼び出されて)集う人々という意味であると以前のこの欄で触れたが、集うことがままならない中での苦肉の策である。今月の各週主日の礼拝ごとに、久しぶりにお会いした方々のお顔を拝見し、やはり一堂に会して礼拝することには、歓びと祝福があると感じると同時に、どう工夫しても集うことの叶わぬ方々もあることを思い、そこに心を寄せる祈りをささげ、神様に絆を強めてくださいと求めるばかりである。前任の教会は、長年月にわたり会堂を失った状況で「教会」を維持し続けた方々による歴史をもっていた。そこで物理的に集えない方々とのつながりを維持する手段としての「説教プリント」の発行というわざを教えられた。着任当初の新米牧師二人にとって、それは苦行であった。けれども今、そのことがこの状況下で役立つことに感謝している。様々な試練を経て教会はしなやかに強くなると信じたい。 (中沢麻貴)