牧師室より

 イースターおめでとうございます。

先週月初めの印刷物発送に、「受難週によせて」と題した牧師連名の次のようなメッセージを同封しました。

【皆さま、どうぞなるべくご自宅で礼拝してください。ご自分やご家族の健康状態を考えて心配な方は、ご自宅で礼拝してください。教会に来るときの感染(する・させる)の危険性を危惧される方は、ご自宅で礼拝してください。ご家族が外出されることを心配される方は、ご自宅で礼拝してください。でも、教会は主の日の礼拝をつづけます。なぜなら、礼拝は「不要不急」ではなく、命のみことばは、日ごとの糧として、私たちに必要不可欠なものだからです。「イエスはお答えになった。『人は、パンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある(マタイ44)」。食料品店が注意深く対策をとりながら開店するなら、教会も扉をあけましょう。ほとんど人のいない教会で、それでも皆さまの心に、みことばは届くと信じ、礼拝をつづけます。なぜなら、わたしたちが、どんなに心に恐れを抱いて閉じこもっていたとしても、「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた(ヨハネ2019より)」からです。祈りをもって受難週を過ごし、共にイースターの希望にあずかりましょう!】

 今日は、教会宛ての手紙の言葉をこれに加えたいと思います。

「わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰とを見て喜んでいます

(コロサイ25)」。  (中沢麻貴)