牧師室より

新型コロナウイルス感染症対策に日本中が翻弄されている。すでに「新型」という未知の疾病ではなくなりつつあるので、COVID-19という名が付けられた。コヴィッド・ナインティーンと読めばいいのだが、なんだか若者受けをねらった駆け出しのお笑いユニットの名前みたいで違和感のある方もあるだろう。けれども、これが先月WHO(世界保健機関)によって命名された正式名称だ。英語名の頭文字として、コロナの“CO”、ウイルスの“VI”、病気の“D”、発見された2019年を意味する19からなる。WHOは、2015年から、このように病気の症状や実態を短く表現する命名を推奨するようになったという。すでに広範囲に流行して知られるようになったSARS(重症急性呼吸器症候群)も同じ理屈で命名されている。

 以前は、ジカ熱やエボラ出血熱のように、地名が病名に含まれていたこともあった。MERSも、“ME”は、「中東」を意味するので、地域名が病名に含まれていた。しかしWHOは疾病の名付け方として、国や地域、人名、動物、食品、特定の文化や産業などを示す要素を含まないようにすべきという方針になったという。理由は、病名による差別偏見が助長されることを防ぐためだ。

 COVID-19をめぐっても、すでに差別偏見の事例が、いろいろ報告されている。また、悪質なデマとして「中国がこの病気を日本肺炎と呼んでいる」という情報が、一時ネット上で飛び交った。これは駐日本中国大使館のホームページに掲載されていた中国語の文章を、ごく初歩的な誤読をした人から拡がったデマだった。情けない限りである。

 人は、簡単には解消できない不安が増大してくると、それを何かや誰かのせいにして攻撃することで、少しでも不安解消をしたくなる性質を内に秘めている。そこに差別や偏見が生まれ、暴力や中傷の引き金になる。私たちは、レントを歩んでいるのだから、こぞって「十字架につけよ」と叫んだ人々の心の闇を想い、自らをいましめ、なすべきことを考えたい。      (中沢麻貴)