牧師室より

私たちの学んだ神学校には、いま学生寮は一棟だが、かつては畑をはさんだ別々の丘の上に男子寮と女子寮があった。女子寮は、二階建て木造家屋で、(たぶん誰かの防犯上の思いやりで)壁に「男子寮」とペンキで書かれた、廃屋と見まがうような外観だった。けれども、木組は堅牢で、修繕に来た職人さんが、今はこんな見事な仕事をできる人はいないと評した、漆喰仕上げの白い壁が、私は好きだった。何より春になると、建物を囲む雑木林の、寮室の窓に近いところはすべて桜の木なので、自室でごろ寝しているだけで、お花見ができるというぜいたくさ。勉強していても、昼はキツツキのドラミング(樹幹を嘴で連打する音)、夜はフクロウの声が間近に聞ける、私にとっては夢のような環境だった。

 ある年の二月末、自室にいたら、小さな羽音とヒーフーというかすれた口笛のような鳴き声が、たくさん聞こえて来た。窓の外に目をやると、桜の枝にスズメより少し大柄な鳥が群れで訪れていた。せわしなく枝わたりしながら、しきりに何かを探すしぐさが可愛らしい。賢げに首を傾げるしぐさが愛くるしい。灰色の体に、喉から胸にかけてのピンク色が美しい鳥、ウソの群れ。書きかけのレポートは放り出して、双眼鏡片手に数十分間、ウソ観賞を楽しんだ。

 三月末、例年の女子寮は、満開の桜に囲まれる時期。その年は、ちらほらとしか花が無かった。蕾はほとんど、胸が桜色の小さな大食漢たちに平らげられてしまったから。可愛くて、やがて悲しきウソの群れ。でも、花蕾の大食いも、子育てのためだから許すのでした。 (中沢麻貴)