牧師室より

 近頃、時代の転換点だとつくづく思う。一つは、「世界経済フォーラム年次総会(通称・ダボス会議)」に、「変化を起こす10代の10人」が参加したという報道である。ダボス会議とは、スイスのダボスに集まり、地球規模の課題を毎年話し合う会議だ。今年は、環境問題の分野で闘う、グレタ・トゥンベリさんをはじめとする女性たちが集まり、発言する機会を得たことが、年のはじめに相応しい希望的なメッセージであった。

 もう一つは、2016年に起きた「津久井やまゆり園」入所者殺傷事件に関する報道である。この事件は、小さな事件だと思っておられる方もあるかもしれない。しかし私には、これもまた歴史的な出来事だと思うのである。なぜならばこの事件は、現代の日本社会が抱えている、ある価値観の表象だと理解するからである。

 奥田知志牧師(日本バプテスト連盟)へのインタビュー記事が毎日新聞(web 2019/12/14)に掲載された。昨年、奥田牧師は植松被告に面会している。被告はとても礼儀正しく、そのことで彼が確信犯であるとの印象を受けたという。その被告が、「食事、移動、排泄ができなくなったら人間じゃない」と語ったそうだ。奥田牧師は当初、被告はナチズムの影響を受けているのではないかと想像していた。しかし被告はヒトラーが障碍者を殺害した事実を知らなかったことで驚く。これは「日本生まれのナチズム」だと。そこで奥田牧師は分析する。被告の精神世界の背景には、生産性の低い人は存在してはいけないという「社会の空気」のようなものがあると。植松被告は、「役に立つ人間になりたいと思っていた」という。つまり自分自身に「生産性がない」と感じていたのだろう。植松被告の場合は、自暴自棄になるのではなく、少なくとも当初は、事件によって世間の役に立つことができたと思った節が見られる。

 社会の背景にある「優生思想」は、事件によってさらに一歩踏み込んでしまったとの印象を持つ。(中沢譲)