牧師室より

 今年最後の主日礼拝を迎えました。この一年も神様によって守られた一年であったと感じています。また教会員の皆さんのお一人お一人の祈りと奉仕によって、教会の業が支えられたことを覚え、感謝しています。引き続き教会運営のために、お力を貸していただければと願っています。

 話は変わりますが、子どもの頃、父が牧会していた教会の会員に、チャールズ・チャップリンのサイレント(無声)映画フィルムのコレクターがおられました。私より年下のお孫さんが弁士となり、訪問するたびに映画鑑賞させていただきました。 

そのチャップリンの代表作の一つに、『独裁者』(1940年)という作品があります。これは、チャップリンがはじめて取り組んだトーキー(発声)映画として、またアドルフ・ヒトラーを批判する映画としても知られている作品です。

独裁者と入れ替わってしまった「床屋のチャーリー」の演説が優れものです。「独裁者」に服従せよと、宣伝省の大臣が演説した直後、「床屋のチャーリー」は、自由と寛容、人種の壁を越えた融和を訴え、兵士たちの拍手喝采を浴びるのです。「みんなは機械じゃない、みんなは家畜じゃない、みんなは人間なんだ!心に人間の愛を持っているんだ。憎んではならない。ただ愛されない者だけが憎むのだ。愛されない者と血の通わぬ者だけが」と。

 来年はこの教会が誕生して40年。教会も人と同じように年輪を重ねるごとに成長していくものだと考えています。私たちはすでに神様の愛を受けています。すでに十分に神様から愛されているのです。チャップリンは、愛を知る者は、憎しみを越えることができると演説していますが、私たちもまた愛を知らされた者たちです。自ずと役割は与えられているのです。なぜならば、教会の土台は神の愛で出来ているからです。

 今の社会は、どん詰まりに来ていると私は感じています。社会が行き詰まると、懐古主義・復古主義が強くなる傾向があります。日本のヘイトスピーチや、海外の民族主義の台頭は、決して偶然ではないと思うのです。「古き良き時代をもう一度」と、それぞれが考えるからです。

 どのような時代が訪れようとも、教会は神様の愛を旗印に、憎しみを煽る力を超克して行きたいと願っています。祈りを持って新年を迎えることにいたしましょう。 (中沢譲)