牧師室より

前回に続きロバート・キャンベル著『井上陽水英訳詞集』をめぐって。

1982年、井上陽水氏は、筑紫哲也氏が担当していた日曜夕方の報道番組最終回に招かれ、最後に「傘がない」を歌った。「テレビではわが国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」という歌詞を筑紫が番組内で取り上げた縁という。キャンベルは、「傘がない」をI've got no umbrella.と訳して陽水にダメ出しされる。ここはただ、No umbrella なのだと。理由を問われた陽水は、傘がないという問題は、わたしだけの問題じゃないのだと説明する。

先月、フランシスコ教皇は広島で、「最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか」と、核の傘の下で平和を語る欺瞞を指摘した。一方、今月になって駐留米軍の費用負担増額を提案してきた米国と厳しく交渉中の韓国では、大統領補佐官が、国際会議の場で「もし北朝鮮の非核化が行われていない状態で在韓米軍が撤退したら、中国が韓国に『核の傘』を提供し、その状態で北朝鮮との交渉をする案はどうだろうか」と発言して物議をかもしている。

キャンベルは、前掲著作での、楽曲「傘がない」をめぐる陽水との対話を、「形がない、けれど途轍もなく大切な何かが一曲に織り込まれていたことがわかりました」と結ぶ。これを読み、わたしは、預言者の言葉に織り込まれていることに、どれだけ気づけるか、様々な聖書の翻訳の間をさまよいながら苦労することの意味を、みつけた気がした。

陽水が筑紫に依頼されて作った「最後のニュース」。報道番組のエンディングのための楽曲。終わりの歌詞「ただ あなたにGood-Bye」を、キャンベルは、Just for you, goodbye. と訳して陽水にまたダメ出しされ「晴天の霹靂」と驚く。そして、Simply, for you, goodbye.と書き換える。「あなた」だけとの関係しか思い浮かばないところから、いろいろあるけど、いろんな人がいるけど、挨拶をシンプルにそっとつぶやく気持ちへと翻訳作業が導く。

いま私は、中村哲氏にgoodbye と涙でつぶやき、明日へと進む。

(中沢麻貴)

*文中適宜敬称を略しました。井上陽水氏は井上でなく陽水とあえて略しました。