牧師室より

前回この欄で、「旧約を読む会」のためにエレミヤ書と格闘していて、偶然出会ったロバート・キャンベル著『井上陽水英訳詞集』から手がかりを得たと書いた。内容は次回と予告しての今回。偶然この欄の文字数が少なめであせる。仕方がないので二回(三回かも)に分けて書くことを、お許しいただきたい。

今年、元号が変わった。前回の天皇代替わりの頃を思い出す。日産セフィーロという高級車のテレビCMで、軽快に走るセフィーロの窓から陽水氏が、「みなさん、お元気ですか」と告げてスイっと去る。高級車に乗ることが人生の成功を意味していたバブル時代。ところが、昭和天皇の容体悪化を理由に、日産はこのCM中の「みなさん、お元気ですか」の音声を消し、陽水氏を口パク状態にした。天皇の体調が悪いと、国民は互いの安否を問うことすら「自粛」するべきという、奇妙な忖度(そんたく)が生じたのだ。日産に対抗するトヨタも、カリーナのCMから「生きる歓び」というコピーを忖度で消した。あの年、車を買うことは推奨されつつも、国民は安否を問いあうことも、歓んで生きることもしてはならぬ忖度圧力の下にあったのだ。私には、陽水氏は「元気?」と妖しく変わらず問いかけてくれているのに、その声が時代にかき消されていると映り、助けて、元気じゃない!と叫びたかったものだ。

セフィーロCMBGMで、陽水氏は「今夜、私に」を歌う。「学舎(まなびや)にうつむく子供に/あこがれを教えておくれよ/ちょっとだけ」で始まる歌。口パク場面の背後で「世界をもっと教えて」というフレーズは、消されずに聞こえていた。私の心はそこに共感し、少し希望を見た。

『井上陽水英訳詞集』に、「今夜、私に」は残念ながら登場しない。しかし、その前後の時代の作品をめぐっての、キャンベル氏と陽水氏の対話から、私は多くを学ぶことができたのだ。      (中沢麻貴)