牧師室より

前回の即位礼・大嘗祭は1990年に行われたが、日本基督教団は、天皇制の下での教団結成と戦争協力への反省から、第24総会期の常議員会において「天皇代替わりに関する情報センター」を設置した(1988)

 情報センターには、数多くの市民・労働運動団体が集まり、共に多くの運動を担った。アジール的役割を果たしたと思う。忘れられない団体は、「反天皇制個人共闘・秋の嵐」。かつて代々木公園横の「歩行者天国」では「竹の子族」などが乱舞したが、昭和天皇下血のため自粛となった。しかし「秋の嵐」はバンド演奏を止めなかったため、機動隊が出動し逮捕された。秋の嵐は梁山泊(『水滸伝』)のようなアナーキーな若者の集団で、逮捕者を恒常的に出した。情報センターは救援とカンパに忙しかったが、楽しい連中であった。リーダーのMは、『社会新報』の記者となり、カンボジアPKOの時には、私も現地で一緒に活動したが、帰国して1年後、Mは交通事故で亡くなり、「秋の嵐」は解散した。葬儀は城西教会で行ったが、Mの死を悼む若者たちがジグザグデモを行い、悲痛なシュプレヒコールが響いた。その中に、後にピースボート共同代表・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN) 国際運営委員になるK、派遣村のリーダーになるYをはじめ、各地で野宿者支援運動を担う人たちがいた。

 忘れられない裁判がある。大嘗祭の儀式では新天皇が米を食べる。その儀式に相応しいものを献上した若者がいた。労働者と学生(東大生)の二人は、「米が異なった」と書く「糞」をバキュームカーに満載し、皇居の前で献上した。逮捕された二人の支援を情報センターが引き受け、私が担当となった。「糞尿裁判」と呼ばれる。裁判では、井上清(故人・歴史家)、戸村政博牧師(故人・元教団靖国委員会委員長)らが証人となり、大嘗祭にこそ「糞」が相応しいことを証明してもらったが、裁判官の心には響かなかった。

抗した学生は、のちに自死。共に闘った若者らの自死が続いた。あれから約30年。物語ることでレクイエムとしたい。     (中沢譲)

注:アジール 聖域を意味する語。そこに逃げ込んだ者は保護され、世俗的な権力も侵すことができない聖なる地域、避難所をいう。