牧師室より

『矢内原忠雄−戦争と知識人の使命』(赤江達也、岩波新書2017)を紹介する。矢内原忠雄は、戦後、南原繁の後任として東京大学の総長を務め、大学の自治と学問の自由を守って闘った人として知られている。彼は内村鑑三の弟子で、無教会派のキリスト者でもあった。

 1937年当時、東京帝国大学の教授であった矢内原は、日比谷公園内の市政講堂で「神の国」と題する講演を行っている。彼は350人の聴衆を前にして、「日本の国民に向つて言ふ言葉がある。汝等は速(すみやか)に戦(いくさ)を止めよ」と語ったという。この時の戦争とは、日中戦争のことであり、盧溝橋事件の3ヶ月後の講演であった。彼は危険をかえりみず、非戦を訴えた。すでに言論統制が強まっていた時代である。「神の国」の講演で矢内原はこのように語っている。「今日は、虚偽の世に於て、我々のかくも愛したる日本の国の理想、或は理想を失つたる日本の葬りの席であります」「若し私の申したことが御解りになつたならば、日本の理想を生かす為めに、一先づ此の国を葬つて下さい」という大胆な内容であった。矢内原は日中戦争によって「日本の理想」は失われたというのである。

 著者の赤江氏は、この矢内原の発言に対して「国家批判の過激さは、政治的なものであるだけではなく、同時に宗教的なものである」と指摘している。つまり矢内原は、当時の政府による「国体論的ナショナリズム」ではなく、矢内原流の「キリスト教的ナショナリズム」を対置させて、「神の国は近づいた」と訴えたと分析するのである。この講演をきっかけに、矢内原は東大を辞職することになる。

 私は矢内原の「日本の理想」に与する者ではないが、弾圧を恐れず、自分の信仰と信念を貫いた点に共感を覚える。再び言論統制の時代を迎えた今日、日本のキリスト者は自分の信仰と信念を守れるのであろうか。心配である。  (中沢譲)