◇牧師室より◇
「レンタルなんもしない人」というのを聞いたことがあるだろうか。昨年、ある人物がツイッターで、「『レンタルなんもしない人』というサービスを始めます」とつぶやいたのがはじまりであった。サービスの内容は、「国分寺駅からの交通費と飲食代だけ(かかれば)もらいます。ごく簡単なうけこたえ以外なんもできかねます」というものだった。
彼の“つぶやき”は反響を呼び、この1年間で、依頼は1500件、フォロワー数は20万人を越え、本も3冊出版されている。
高学歴で就職の経験もあるが、現在は“レンタル業”だけで、有給の仕事はなし。貯金と印税で生活しているという。既婚者で子どももいるが、パートナーの仕事で生活が成り立っているようだ(現在、別居中)。
“レンタル業”の内容は、本当に何もしないで、傍らにいるだけ。相手の話を聞いたり、日記を読んで感想を述べたり、一緒に映画を鑑賞したり、孤独な人の傍らにいるだけなのだ。彼は依頼内容を公開している。彼を有名にしたエピソードは、引っ越しの見送りをして欲しいというもの。駅のホームで、「なんもしない人」に、見送って欲しいという依頼だ。もちろん他に見送る人はいない。その映像に、3万件の「いいね」がついたという。
そのほかには、「寂しさを埋めたい。友達を呼べば、もてなしをしなければならない。お掃除ロボットを見ていても良いのだが、人にいて欲しかった」という依頼など。
もう一つ紹介すると、「おなら恐怖症」という心身症の方の依頼。自分は常に臭うと思っているため、大学を中退、仕事も辞めたという。傍らにいて、臭うかどうか教えて欲しいとの依頼であった。依頼者は、「何もしない人」と出会って話を聞いてもらっただけで、励まされたと語っていた。
キリスト者の傍らに立つのは主イエスであるが、社会には、いろいろな願いがあることを知らされた。考えさせられる。 (中沢譲)