牧師室より

今日91日は、世間的には「防災の日」である。私にとって、学校勤めの頃は、全校生徒参加の避難訓練などあり意識にあったが、教会でこの日を意識することはなかった。しかし、先週日曜礼拝後の「AED講習会」で、港南台消防出張所の所長さんの指導を受け、人が倒れた時の緊急対応を訓練したので、改めて「防災」を意識することとなった。

 教会でのAED講習は3年ぶりだったが、ときどき講習を受けて訓練していないと、とっさの時に対応できないと痛感した。倒れた人の意識や呼吸の確認、心臓マッサージ、119番への連絡、AEDの装着と起動、周囲の人への対応など、数人が協力して行うべきことが沢山ある。三人一組になり、指導を受けつつ何度か役割を交代しながら実地訓練をしてみて、それがよくわかった。救助にはチームワークが大切と肝に銘じた。機器の扱いや救命術には、訓練が大事だ。でも、同じくらい大切なのは、日ごろからコミュニケーション能力を、皆で磨いておくことで、それが助け合いを可能にするのだ。

 ところで91日は、1923年に関東大震災が起きた日で、「防災の日」はこれに由来する。忘れてはならないのは、この大地震において、横浜でも朝鮮人や中国人など外国出身の人々に対する虐殺が大規模に起きたことである。外国人や社会主義者は、危険な存在という意識が、震災前から社会に形成されていた時代背景もあり、震災当初から「不逞鮮人が放火、略奪している」などというデマ情報が流された。災害対応で被災地入りした警察や軍隊による組織的虐殺が行われたことも、具体的な記録として残っている。それだけでなく、地域の自警団や青年団などの組織が、外国人を探し出して惨殺するなど、戦慄すべき状況が市内の広範囲で起きた。法政大学大原社会問題研究所が2014年に発行した『大原社会問題研究所雑誌』に、「横浜における関東大震災時朝鮮人虐殺」(山本すみ子著)という研究報告があり、これを読んだ。詳細な記録に基づき書かれていて学ぶところが多かった。出身や思想などをめぐるヘイト(嫌悪・憎悪)のある今の時代こそ、歴史に学ぶべきことがあると痛感する。過去の過ちを繰り返さないためには、眼を背けたくなるような歴史とも、きちんと向き合う勇気をもたなくてはならない。八月が過ぎても、平和への意識を失ってはいけないのだ。

           (中沢麻貴)