牧師室より

今月は、牧師「夏休み」で各種集会を休会にしていただき、平素と違うことに時間を費やしている。人間ドックにも行き、検査の隙間時間で一冊の本を読んだ。『歴史戦と思想戦―歴史問題の読み解き方』(山崎雅弘著)である。著者については、昨今の政治の動きに関連して名を聞くようになった、日本会議という政治団体の実態を明らかにした著書で知った。「従軍慰安婦はいなかった」、「南京大虐殺はなかった」、「GHQが日本人を洗脳した」など、私にとっては驚くような荒唐無稽の主張が、「歴史戦」「思想戦」という文脈から繰り出されてくることの仕組みを、わかりやすく分析した本だ。それは、戦争中に国民を戦うことに仕向けるために仕組まれたプロパガンダと、同じ流れの中にあるという指摘に納得し、改めて危機感を抱く。そして、そうした主張のおかしさや違和感を、「事実」と「論理」のふたつの角度から検証し、ひとつずつ解消していくことの大切さを説く本書の主旨には共感する。雰囲気や情報量の多さに惑わされることなく、おかしいことを信じ込まされない国民になることが、戦争へと向かう道で踏みとどまるためには大事なのだ。

 もう一冊(文庫で四分冊)読んでいるのが、『騎士団長殺し』(村上春樹著)だ。同じ著者の『ねじまき鳥クロニクル』には、ノモンハン事件が、『騎士団長殺し』にはナチスと南京事件が出てくる。村上氏自身は、阪神淡路大震災とオウム真理教事件の前後で、「デタッチメントからコミットメントへ」創作の姿勢が変わったと述べている。私は、ぜんぜん能動的じゃない人物が、ふとしたきっかけで邪悪と触れてしまい、暗い穴倉での思索を経て、生き方を少し変えることで邪悪を祓うような、そういう登場人物を描く、この著者の作風にとても興味がある。過去の歴史と自分が置かれている社会のありように、デタッチメント(無関心、関わらない)から、コミットメント(深く関係する、責任的に関与する)へと生き方を変えるためのヒントが示されているような気がするからだ。流行作家から、流行に乗らず冷めていながら、関心を持ち続ける態度を、学ばされる気がする。 (中沢麻貴)