牧師室より

「キノコ雲の下にいたのは兵士ではなく市民でした。罪のない人たちの命を奪うことを誇りに感じるべきでしょうか」 。米国に留学していたある日本人学生が動画を配信した。その動画は拡散され話題となった。

留学生が学んだ高校のロゴマークは、原爆のキノコ雲を模したもので、その高校では原爆を「誇り」としていた。場所はワシントン州リッチランド。長崎県に投下された原爆のプルトニウムが生産された町で、「原子力の町」と呼ばれてきた。留学生は授業でロゴマークの意味を知らされ、動画を配信するに至ったという。

「原爆のおかげで戦争が終わった」と誇る学生たちの中で、動画を配信した決断に驚かされるが、それ以上に注目すべきなのは、動画を見た同級生から、「あなたを誇りに思う」「あの動画がなければ日本側の意見を知ることは一生なかった」という声を留学生に寄せたという事実である。どこかの国であるならば、ただちに「日本に帰れ」というヘイトスピーチの大合唱が生じたことだろう。民主主義の土台には、多様な意見を受け止めるという条件が不可欠なのだと思う。

 その一方、元従軍慰安婦を題材とする「平和の少女像」などを展示した、「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の一企画であった。中止の理由は、抗議が殺到し、「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」などというFAXが届いたことで、安全を最優先したからだという。警備員を配置するなどの対応をしていたようだが、備えが不十分であったと言われても仕方がない。結果的にではあれ、ナショナリズムが優先するのであれば、今後は「国際芸術祭」などという看板は恥ずかしいから降ろすべきだ。

展示中止は、表現の自由が奪われたという点で、とても残念である。しかしもっと醜悪なのは、名古屋市長をはじめ、首相官邸、国会議員までが、同展示に圧力をかける発言をした点である。彼らの発言は、検閲行為そのものであり、憲法違反だ。マスコミはその点をもっと問題にすべきである。また警察は、脅迫文を送った人物を、政治家に忖度せず、特定すべきである。

 たいへん皮肉な結果ではあるが、表現をすることがいかに不自由な国であるのかを明らかにした点で、この企画は成功したと言える。だが、本当に残念なのは、この国が米国から民主主義を学べなかった点だ。異なる考えを排除しようとする様は、とても醜い。偶然、同じ日に報道された、2つのニュースの間にある深い溝を思う。      (中沢譲)