牧師室より

比較的最近、「正常性バイアス」という言葉を知った。心理学の用語で、例えば災害や事故に遭遇し、危険が予想される状況下でも、「自分は大丈夫」「まだ平気」「なんとかなるだろう」などと過小評価する気持ちが湧いてきて、都合の悪い情報を半ば無意識のうちに無視してしまい、逃げ遅れや手遅れの原因となる心理状態のことを言うらしい。危険が予測される状況で、パニックにならず冷静に対処することは大切だが、見て見ぬふりによって不安を鎮静させてしまっては、かえって状況は悪化する。塩梅が難しいものだとつくづく思う。

 いま「旧約を読む会」では、エレミヤ書を少しずつ読んでいる。まだ最初のほうの、エレミヤの初期預言のあたりなのだが、同胞たちに対する若いエレミヤの批判の言葉の激しさには、思わずたじろぐ。当時のユダ王国は、どうやら相当ひどいていたらくだったようだ。信仰心においても、例えば豊作祈願をするのなら、父祖から教えられた神でも、この地域で人気のバアル神でも、まあどっちでもいいや的な乱れた状態があったらしく、国際情勢においても、ひどく定見のない外交が行われていたらしい。国家的改革が叫ばれても、指導者層には腐敗がはびこり、結局は権力と利権の論理が優る有様。前回学んだ箇所の最後は、「お前たちはどうするつもりか」という悲壮な問いで預言は締めくくられていた。

 北イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされても、南ユダ王国は、自国は大丈夫だろうと高をくくった。バビロニアが興隆し、アッシリアを滅亡に追い込んだ時も、かえって助かったと錯覚してしまった。改革は、指導者たちに任せればいいと庶民は無関心。まさに正常性バイアスがかかっていたのだ。さて今の時代、私たちは大丈夫だろうか。       (中沢麻貴)