牧師室より

先月28日、川崎・登戸駅付近で、スクールバスを待っていた小学生や保護者らが、刃物を持った男性に次々と襲われ、うち二名が死亡する痛ましい事件が起きた。直後に犯人も、自ら刃物で命を絶ってしまった。

 凄惨な事件の詳細と、51歳の犯人の人的背景が明らかになるにつれ、数日間はTVや新聞、そしてネット上に、事件に関連した言説が溢れた。人の死を悼むということからかけ離れたその状況を、苦痛に感じられた方々もおられたと想像する。十日ほど経った現在、当初の報道や関連する言説を検索してみると、間違った情報や悪意のあるデマが、かなりの量で混入していることに驚く。公共の場に流布される情報が、正確さや妥当性を吟味され、責任を持って発表されるより、即時性が優先されている。それは、暴力的ですらある。

 今あえてここで紹介しておきたいお二人の方の声がある。私たちが教会にお招きしてお話をうかがった方々である。一人目は、一昨年二月に社会委員会主催の学習会で「若者の貧困」について語ってくださったノンフィクションライターの飯島裕子さん。二人目は、昨年八月に平和聖日の講演会で「下流老人とこれからの貧困」について語ってくださった福祉の専門家である藤田孝典さん。

 飯島さんは、事件で被害にあった学校の同窓生だ。あの事件現場で、子どもたちが懸命に助け合っていたこと、その後開かれた学校による記者会見で、恩師である先生方の言葉に、子どもたちの心と身体を何としても守るという強い覚悟を感じたことなどを語っておられる。『カリタス学園「愛の教え」さらなる分断を生まないために』と題された530日付けのヤフー・ニュースのブログだ。その中では祈り合う同窓生たちの輪も紹介されている。

 藤田さんも、28日付けのヤフー・ニュースのブログで、『川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい』という題で、緊急提言している。「死ぬなら一人で」という言説は、むしろ絶望的な孤立へと追いつめられる人を生む。社会は、凶行が繰り返されないように、他者への言葉の発信や想いの伝え方に注意を、と呼びかけている。私には的を射た専門家の意見に聞こえたこの藤田さんの提言が、賛否両論を引き起こしたことに、むしろ慄然とした。他者に死を肯定する言葉を投げつけたら、それはいじめなのに。お二人の書かれた記事に、聞くべき声はここにありと感じた。

           (中沢麻貴)