牧師室より

 先週、川崎の桜本教会から一冊の本が届いた。同教会の藤原繁子牧師著『キリストを身にまとう』というガラテヤの信徒への手紙の講解説教集であった。

 ふと気づいて、伴侶の鈴木文治牧師の後書きを読むと、昨年の12月に藤原繁子牧師は天に召されたとのこと。お会いしたことはなかったが、鈴木牧師と共に「インクルーシブ・チャーチ」(共生の教会)を理想とし、その実現のために歩まれた方だと聞いていたので、尊敬していた。

藤原牧師が牧師になろうとしていた時代は“教団紛争”という不幸な時代であった。おもな伝道の対象は、路上生活者、障がい者、外国人であった。福音を語るだけでなく、路上生活者たちの願いを負い、川崎市との交渉を重ねたという。しかしそうした活動は、紛争時の神奈川教区では理解されなかったという。鈴木牧師を横浜港南台教会の平和聖日講演にお呼びした時に、その話を伺った。政治改革を全てに優先した時代であったと聞く。残念である。

後書きに、藤原牧師は「日本のシモーヌ・ヴェイユ」と呼ばれていたとあった。ヴェイユとは、フランスの孤高の女性哲学者で、底辺に生きる者たちへの徹底的な連帯を模索した人だ。スペイン内戦にも参加。神を信じていたが、教会が底辺に生きる者たちへの共感を持たなかったがゆえに、教会の門の内側に入ることを拒んだと記憶している。結核のため37歳の若さで亡くなった。「本当の愛にあっては、私たちが神において不幸な人々を愛するのではなく、私たちの中にある神が不幸な人々を愛するのだ」(ヴェイユ)。

藤原繁子牧師のご遺族に天の慰めがあるようにと祈る。                                         (中沢譲)