牧師室より

 教会生活を新しくはじめる人からよく聞かれる質問があります。それは「月定献金をいくらすればよいのでしょうか」という質問です。尋ねる方の気持ちはよく分かります。本当に困って質問されるのでしょう。家族や友人にキリスト者がおられれば、意見を聞けるかもしれません。しかし牧師や役員の側からは、具体的な数字を挙げることはできません。「什一(収入の十分の一)献金」という言葉を耳にすることがあります。これは旧約聖書に由来していますが、新約の時代には継承されていません。献金は、その人と神様との間の事柄です。ですから各人に委ねられているのです。とは言え、困ったなと思っていたところ、『信徒の友』(2月号)で、「教会財政とは何か」という特集が組まれ、献金の考え方についても触れられていました。そこで服部能幸氏(伊勢原教会牧師)の「基本のところをもう一度 レプトン銅貨2枚の用い方」から、参考になる部分を紹介させていただきます。

 服部氏が取り上げたのは、レプトン銅貨2枚を献げた女性の話です(マルコ12:41以下)。ある女性が神殿でレプトン銅貨2枚を献げたのを見て、イエスは「生活費を全部入れた」と言われています。この女性はイエスから見られているとは思っていません。イエスとは面識もなかったことでしょう。

服部氏はこの女性についてこう語っています。「彼女は虚心に神の前に立とうとする人です。誰かが見ているからささげに来たのではないのです。自分の人生の立ち位置を、神さまに100パーセント信頼して生きる位置に据えようとしているのです」。そしてこの物語の項を、こう締めくくっています。「その人が自らを献げたということが、人の前にではなく神さまの前に大切なのです。そして、その人のことを神さまがご承知になっていてくだされば、それでよいのです」と。

この話を聞いて、それでもやっぱりさっぱり分からないという方にアドバイスです。献金は、その月の収入を得たときに、あらかじめ決めた金額を取り分けておくものです。つまり生活費で残った金額を献金するのではないという意味です。ただし「生活費を全部入れる」ことはしないでください。神さまに感謝して生きるためにも、継続できる金額をと考えています。     (中沢譲)