牧師室より

『信徒の友』12月号のクリスマス特集に、「聖画に描かれたヨセフ・託された画家たちの信仰」という記事があるのを発見した。寄稿者は吉松 純氏。米国合同メソジスト教会に属する牧師で、現在は金城学院大学教授である。ニューヨークのメトロポリタン美術館で学芸員をされていたように記憶しているが、キリスト教美術の専門家でもある。

吉松氏は、聖画を鑑賞するときの心得として、2つのことに留意するようにと勧めている。1つ目は、「すべてのキリスト教芸術は『十字架と復活』を指し示す」という点。「色や小物などにより十字架と復活が語られている」のだそうだ。2つ目は、「芸術家は自分の信仰を表現している。それゆえ聖画の背景は芸術家の生きた時代のものになっている」という。つまり、すべてのキリスト教芸術作品は、作者の信仰の証しでもあるのだ。だとするならば、絵画には、十字架や復活などを意味する記号が埋め込まれていることになる。 

吉松氏はその記号についても解説されている。たとえば、茶色や灰色は土の色を意味し「自分は取るに足らない者」という謙虚さを表現。青色は空を意味し「神のおられる場所=天を思う信仰」を表現。赤色は血の色で「キリストの受難・十字架」を表現しているという。また白ユリはマリアの純潔と復活の象徴だという。時代と共に記号は変化しているようだが、記号を読み解いて聖画をみると、より味わい深いものになることを教えられた。

余談だが、吉松 純氏の父親は、かつて王子北教会で牧会をされ、「在日韓国人『政治犯』を支援する会」の事務局長をされていた吉松 繁牧師である。かれこれ30年近いつき合いをさせてもらっている私の酒飲み仲間でもある。父親は鷹のように激しい人だが、息子の純氏は鳩のように穏やかな人である。  (中沢譲)