牧師室より

 この横浜は、近代水道発祥の地(野毛山に記念碑あり)なのに、今国会で審議されている水道法改正案(水道の民営化)への興味が、他地域に比べてそう高いわけでもないのはどうしてか。世界中で、水道の蛇口をひねって出て来た水を、そのままごくごく飲める国は、滅多にない。安定供給で安全で安価な水が、公営で全域に供給されていることは、どんなタワーやブリッジよりも自慢できることなのに。水道は、水源地の環境保全とか、水道管の更新とか、難しい問題と地道に取り組む努力なしには維持できない仕組みだが、そうしたことに誇りをもって取り組む方向に行かず、面倒なことは民営化という風潮が生まれるのはどうしてか。どうも、目に触れにくい部分で行われている仕事に対する敬意が足りない気がする。

 前任の教会で、会堂建築をめぐり数人の建築家にお話を聞いたのだが、鉄筋や鉄骨造と木造との比較という話題になった時、木造の寿命は短いという先入観を覆されたことがある。木造建築を専門にするその方は、一概に寿命ということは言えず、それは使う人次第ですと言い切った。こまめな手入れや部分的な補修・改築をすれば、百年単位で、長く使い続けることが可能であると。寺社仏閣の建築にはそういう思想が反映されているのに、教会にはそういう思想が欠けているのだなと、だいぶ反省させられた。ただし一方で、被災地の教会が、瓦礫の中から拾った木切れで十字架を組み、それをたてて青空礼拝をしたと聞けば、建物によらず人による教会という発想に喝采するのだが。建物も信仰心も、日ごろのメンテナンスがちゃんとしているかどうかが問われるのだ。

 今年もアドベントが近づき、クリスマスの準備が、もぞもぞと始まった。表立ってクリスマスが近づいてきたことを教会が世に示すのは、アドベントに入ってからが良い。商業主義にあらがって、前倒しはしないのが良い。けれども、教会の見えない部分のインフラ整備として、皆さんがもぞもぞと始めている準備こそ大事かもしれない。  (中沢麻貴)