牧師室より

自分が言いたいことが先にあって、それにちょうど合う聖句を探すような形で、聖書の話を組み立ててはいけないよ。師匠と仰いでいた老牧師から、むかし言われた戒めを時々思い出します。主日の説教を言葉にしていく時に、この聖句で神様はいったい何を伝えてくださるのだろうかと、毎回自分を白紙の状態にして聖書と向き合う作業は、時にしんどいことですが、自分では思いがけない地平にたどり着いた、というか導かれた、と感じることもあります。

 でも、学校などで説教を依頼される中では、いろいろなリクエストをされることもあるので、そういう時は少し困ったりもします。かつて、若い学生さん同士の人間関係に、殺伐としたものを感じた先生から、御自分の学校礼拝のお話で、友情の大切さを訴えたいので、適当な聖句を教えてくださいとリクエストされ、この難題に苦労したことがありました。たとえば、イエス様の教えには、「あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる(ルカ2116)」などという物騒な言葉もあります。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネ1513)」という言葉も、そう語るイエス様の生涯を語らなければ真価を伝えるのは難しいでしょう。友情のありかたについて、聖書を通じて手短に語るなんて難しいなあと思いつつ、若い人に紹介するなら、これかなと、ようやくたどり着いたのが、「ひとりよりもふたりが良い」ではじまる「コヘレトの言葉」49節〜12節の聖句でした。

 先日の神学校日、子どもの教会の説教で、神学生の鳥羽加陽子さんが、ちょうどその聖句を取り上げてくださいました。この聖句のしめくくりには、「三つよりの糸は切れにくい」とあります。鳥羽さんは、自分と誰かの間に友愛が育っても、まだそれだけでは心もとないかもしれないけれど、そこに三本目の糸としてイエス様がいてくださったら大丈夫、と子どもたちに教えてくださいました。教会では、さまざまな人の出会いがあります。でも、ここには人同士だけでなくイエス様もいてくださるから、深い結びつきが育つのだと、あらためて思いました。         (中沢麻貴)