牧師室より

台風の暴風が通り過ぎてから数日後、いつもの散歩コースで里山を歩いた。木々の枝が折れて痛々しく、足元には紅葉前の葉がたくさん散り敷いている。しかし、森の中のなんとかぐわしいこと。千切れたクヌギやコナラの葉から発散する青葉アルデヒドやイソプレン系の森らしい香りに加え、普段なら大量に落ちることはないクスノキの枝葉からは樟脳の原料であるモノテルペン系の芳香が。それらが絶妙のブレンドとなった良い香りを、歩きながら胸いっぱい吸い込んだ。台風は、様々な災害をもたらし、人間の生活には困難を生じさせる。でも、こんな置き土産もあることを知った。

 雑木林を内側から見上げると、下枝打ち(林内で、伸びるとぶつかり合う下枝を適度に切っておくこと)がきちんと施してあるエリアでは、ほとんど枝が折れていない。一方、下枝打ちが施されていない木では、大枝が裂けるように折れている。雑木林は、人間が維持管理して保たれている植生であることが見て取れる。

 しかし、私が散歩しているのは里山の景観を保護する公園なので、倒木や折れた大枝は、管理の方々により、ていねいに切断・解体され、適当な長さの丸太になっていく。これは、炭焼きの材料や、シイタケ栽培の榾木(ほだぎ。キノコの種菌をつける原木)として、ちゃんと利用されていくのを知っている。

 昨年に続き、今年もドングリは豊作気味だった。このままでは、それを餌としている外来生物であるタイワンリスが、また増殖して生態系のバランスを壊す恐れがあり、困ったものだと思っていた。だが、枝葉と共に若いドングリも大量に落ちてしまった。未熟で柔らかいうちに落果したドングリは腐敗も早いので、今年の冬、リス達は食糧難かもしれない。昨年は増えすぎたリスたちに関しては、むしろそれでよいのかもしれない。

 私は、森を散歩していると、生きる目的や意味の探求ではなく、目的や意味として生きることがあるという気持ちになっていく。多くの命がからまりあった世界で、神様からいただいた命を生かしきることを、ていねいに日々行っていけばいいのだと、森は教えてくれる。(中沢麻貴)