牧師室より

 旧約聖書にある物語的文章をゆっくりたどっていると、いつも想像力が勝手に働きだす。

 神様が蛇に変えることができるものとしてくださった杖を手に、モーセがファラオの前に立つ姿を思い描くと、子どものころに博物館で見たツタンカーメン王のマスクを思い出す。あの黄金面のおでこには、鎌首をもたげた蛇、アスプコブラがついていた。想像の中で、壁画に描かれた神々を背に、額に黄金のコブラを輝かす王と、羊飼いの杖を手に対峙するモーセの背後には、視覚にはとらえられない神様が立っておられる。ファラオ対モーセは、蛇というアイテムを持っての神前対決だ。

 また、杖を持ったアロンが、ファラオお抱えの魔術師たちと対決する場面(出エジプト記7章)では、別の想像力が働きだす。この部分の最初の語り手たちは、バビロニア帝国支配下で苦しめられていた時代にあったはずだ。アロンが杖を蛇に変え、魔術師たちの蛇を次々に飲み込んでしまったと書かれている部分の「蛇」という単語は、スネークではなくドラゴンをイメージする言葉だ。バビロン神話の主神マルドゥクは、聖獣ムシュフシュを従えている。国家のシンボルもこの竜をかたどる。その起源は、シュメールの海神ティアマトの一形態であった海竜だ。バビロンがシュメール人を滅ぼした時に、シュメールの神は、支配者バビロンの神の乗物にされたのだ。

 バビロン支配下で苦しむイスラエルの人々は、アロンの杖の竜が、王の魔術師たちの竜を飲み込んでいくくだりを、どのような思いで聞いたのだろうか。

ポケモン好きの子らと、そんな話をしてみたい。    (中沢麻貴)